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土佐から伊予へ

時間も遅くなってしまいました。毎日必ず更新するとなると、早く書かなくちゃ。ということで、本日は、起きて食事を済ませると、ホテルに隣接する山内神社へ。もちろん、土佐藩主の山内家を祀った神社です。ここには、山内容堂が徳川慶喜の大政奉還を祝って盃をかたむけている銅像があります。大政奉還を主導したのが容堂。そして今年は、大政奉還から150年になります。

容堂は49歳で亡くなりますが、相当な飲んべえだったとのこと。その癖のある文字で書かれた書を見ても、ただならぬ人物であることが想像できます。

さて、本日は、土佐から伊予へ。ただし、かみさんのたっての希望でしまなみ海道を通って、因島まで。昨日の曇とは違って本日は絶好の日和です。

大島は、長州戦争、長州藩側の俗称では四境戦争の発端となった島でした。長州藩が4つの境口から攻撃されたので、この名があるのですが、ここでも幕末維新史の旅になります。

さて、因島を目指したのは、『村上水軍の娘』を読んだかみさんが、因島水軍城に行ってみたいと言ったからでした。途中、因島手前の大三島の道の駅多々羅で、幻の高級魚マハタ丼をいただきました。淡泊で結構、コシのある魚でしたね。

さて、因島水軍城です。見上げると何やら天守のようなものが建っています。水軍でも山城を築いていることには何の疑問もありません。んが、さすがにこれは…。いや、ここまでくると却ってすがすがしいですね。

お墓もあちらこちらの島にあった五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)を集めて、因島村上氏の菩提寺金蓮寺の裏に祀ったものだそうです。だから、どれが誰の墓だかよくわかりません。

取り急ぎ、因島を後にして、今日の泊まりの道後温泉に向かいます。GWらしくしまなみ海道が混んでいて…。あ、時間がないので、本日は、ここまで。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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