五稜郭と箱館奉行所と新撰組

今日のつぶやき
五稜郭と箱館奉行所と新撰組

もう15年前になるのですね。初めて函館に足を踏み入れたのは。全国大学史資料協議会が札幌で開催されたので、その前にちょっと立ち寄ってみました。それにしても函館から札幌までの電車の長かったこと。しかも夜で、まったく明かりがなくて、久しぶりに漆黒の夜を体験したことを覚えています。

五稜郭に始めていったとき、年配の観光客が「司馬遼太郎が、五稜郭は失敗した城だと言っていた」という話をしてました。私は本そのものを読んでいませんので、司馬遼太郎さん云々はできませんが、ただ、足を踏み入れて思ったのは、これを城として考えちゃいけないんじゃないかと言うことでした。「郭」はイコール「曲輪」ですから城だと思いがちですが、普通に考えれば箱館奉行所であって、外国人と交渉したり接待したりするために「豪華」に造られた奉行所と考えた方が何かしっくりするなと思ったものでした。

ここでも新撰組に関する史料が展示されていました。現在、Let’s古文書で、少し新撰組関係の古文書を読んでいて、鉄砲稽古のこと書いていたら、偶然、ゲベール銃とミニエー銃の写真を撮っていたということに気づいたという話を書きました。せっかくなので、少し写真を載せておきます。

 

五稜郭の図面と新撰組の「誠」の旗、、そして土方歳三が池田屋事件の際等に使用したという鉢金(はちがね 複製です)とこれを日野宿(東京都日野市)の佐藤彦五郎に送った際の書状です。そして…

土方歳三最期の地の碑ですね。もっとも、土方がどこで亡くなったのかは、詳しくはわかっていません。でも、1番受けたのはこちらでした。この民宿、今も営業しているのでしょうか?

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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