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佐賀に向かっています!

ただいま、羽田空港で福岡便の時間待ちです。本学同窓会の佐賀支部で講演をするために佐賀まで行きます。本当は、明日、出発の予定でしたが、そう、台風18号がどうも明日九州に上陸する可能性が高い。そうなれば飛行機が飛ばない。いずれにしても、台風が来るんじゃ同窓会も中止かなと思っていたら、中止にはならないそうで…。で、出来れば今日来いと!人使いの荒いこと…(^^;)な、とりあえず、移動することは可能ですから(ただ、クルマのタイヤを交換する予定は延期しましたけれど)、とりあえず、佐賀のホテルまで行くことにしました。

今回の講演は「幕末期佐賀藩の近代化を考える―藩主鍋島閑叟(かんそう)の改革―」と題し、佐賀藩近世後期~幕末期の藩制改革を取り上げたいと思っています。閑叟は、文化11年(1814)に生まれ、天保元年(1830)に家督を継ぎ、改革を主導して、明治4年(1871)に没しますので、正しく幕末を生き抜いた藩主でした。俗に明治維新の主力となったのは、薩長土肥の西南雄藩といわれています。肥前藩はすなわち佐賀藩です。佐賀藩は、閑叟の時代に天保の改革と呼ばれる改革を開始します。その内容は多岐にわたるのですが、とくオランダ流の西洋軍制を早くに取り入れたこと、日本で始めて反射炉の建設に成功し、小銃・大砲を生産したこと、同じく日本で始めて蒸気軍艦に製造に成功するなど、近代化、西洋化を図ったことで有名です。蘭癖(らんぺき)大名と呼ばれるくらいですからね。

もちろん、こうした軍制改革だけではなく、行財政の改革に、藩校弘道館を中心とした教育改革と人材登用などの諸政策を実施していきます。とりわけ行財政の改革については、小田原藩とよく似ていますね。均田制も詰まるところ、加地子(小作料)と相対貸銀(借金)の猶予、無利子15か年賦を内容とする均田制って、考えてみれば報徳仕法みたいなもんですしね。

と言うことで、頑張ってきます!

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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