岩戸山古墳

今日のつぶやき
岩戸山古墳

岩戸山古墳といえば、古代史に興味を持っている人であれば、誰でも知っている古墳…と、思います。6世紀、継体天皇の時に、北九州で反乱を起こした筑紫国造磐井の墓だといわれている巨大前方後円墳です。八女地方は、磐井の本拠で、岩戸山古墳は私の母校、福岡県立福島高校の向かいにあって、実家からは車で10分ほどで行くことが出来ます。よく遊んだものです。

近くの国道3号線はよく通るのですが、久しぶりに訪ねてみることにしました。そうしたら、結構、整備されていて、「八女市岩戸山歴史文化交流館 いわいの郷」というのができていました。聞くところによると、おととしの11月にオープンしたのだとか。入場は無料で、以前、反対側にあった記念館のものを新たな施設で展示しているようです。

中には石人・石馬を中心にさまざまな出土品が展示されています。武人像などは重要文化財なのですが、そのまま展示されています。確かに持ち出すことは不可能でしょうが…(^^;)

展示場はそれほど大きくはないですが、それでも無料ということを差し引いて、見応えがあります。ただ、歴史的な展示ですが、時代が南北朝で終わっています。八女地方には五条家という南朝の重鎮が居を構えていました。この五条という名前、どこかで聞いたことがあったと思ったら、高校時代、バレー部の2年先輩の名前でした。お宅には古文書があるということをこの仕事を始めてから聞きました。今、どうしていらっしゃるのかな…。それにしても、南北朝までというのは、江戸時代の研究者としては淋しい気がしますが、基本は岩戸山古墳を中心とした時代ですから仕方がないですかね。私の町、八女郡広川町は、古墳群の中に町があるようなもので、石人から「人形原古墳群」と呼ばれています。人形原は、「にんぎょうばる」と読みます。東国原さんや田原坂と一緒ですね。

さて、「いわいの郷」でひとしきり展示物を見学すると、裏から直接、古墳の別区(べっく)まで行くことができます。「別区」とは、前方後円墳を上から見て、円墳部の右側にある四角の高台のことです。裁判の場だったとか、祭祀の場であったとかいろいろな説があります。ここは原っぱみたいなものだったので、よく遊んだものでした。

台風一過。今日は暑くて、別区が彼岸花の向こうによく映えていました。ここには石人・石馬などの複製物が展示してあるのですが、それもそのままです。

古墳の方向は、逆行ですので、今回は撮影を止めました。また、そのうちに紹介します。暑さの中に秋の訪れを感じる1日でした。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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