久留米と八女

今日のつぶやき
久留米と八女

昨日は、久しぶりに久留米の市街地に行き、今日は八女の市街地に行ってきました。悲しいことに久留米の寂れ方は、想像以上でした。久留米の1番街といえば、映画館があって、ショッピングができて、高校の頃は、行くこと自体が娯楽でした。久留米水天宮のお祭りは地域最大のお祭りでした。私がこちらに出てきた後に開店した西鉄久留米駅近くのマクドナルドも今はありません。六ツ門の井筒屋デパートもとっくの昔に閉じてしまいました。日曜日の閑散とした1番街、2番街には呆然とするばかりです。まさに典型的な地方都市のシャッター通りですね。

八女もまた、中心地の土橋から清水商店街の道路を締め切って行なわれる土用市、夏の盆踊り、秋の燈篭人形等々大勢の人たちで賑わっていました。土橋の交差点には岩田屋デパートに、ロッテリアにかぶと万十屋さんがあったのですが、こもありません。ただ、旧福島町の白壁通りが整備されているのは嬉しいのですが…。

これは「もつ蔵」というお店ですが、昔は、平井病院という病院でした。私が幼稚園の頃、といいますから、1964年ですね。急性腎炎でここの2階にひと月ほど入院していました。その頃のたたずまいがそのままなのです。内部もそのままだというので、食事に行ったのですが、残念ながらお休みでした(T_T)この2階の右側の部屋で寝ていました。畳の部屋で、腎臓病ですから、塩や調味料をいっさい使うことができず、とにかくごはんがまずかったことを今でもはっきりと覚えています。街にまだまだ活気のある時代でした。

地方が衰退していく要因についてはいろいろと語られますが、商店の問題に関して言えば、大規模小売店舗法、いわゆる大店法が2000年に廃止されたことが大きかったのかなと思っています。地方の中小の商店を守るために、大規模な店舗、デパートなどの出店を規制する法律です。日本中にイオンとか、ショッピングモールとかできるのは、こうした流れでした。規制緩和という世の中の流れは、今も実はその方向にあります。加計学園問題で、岩盤規制に穴を開けると安倍首相は高らかに宣言していましたが、戦後の自民党の失政はどうなのでしょう。本当に日本を支えてきたのでしょうか。もっと、後の話になりますが、晩年、父が、小泉首相の政治をどう思うかと聞いたことがありました。農業一筋に生きてきた父の根源的な問いかけだったと思います。私は、「これはたいへんなことになる。ダメになっていくと思うよ」と答えました。「お前もそう思うか」と父は言っていました。今も現実にはその流れの上にあります。

総選挙が近いようです。結局、自民党の政治は、詰まるところ、戦前型の「強い国家」をめざすことであって、最大多数の最大幸福を願うものではないように思います。祖父らから、そう吹き込まれてきたのが、安倍首相ではないでしょうか。時代の変化はそんな単純なものではないですが、地方を回るたびに、そうした思いを強くします。これらについてはまたいずれ…。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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