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藩のしくみと藩士の役職

今年の仕事始めは、東京学芸大学からでした。日本史研究Aの授業です。藩政史を中心とした幕藩体制史についての授業だということは、何度か書いたかなと思います。月曜日の雨が上がって、昨日は、本当にあったかいを通り越して、セーターとかコートなど必要のないような天候でしたね。何でも4月頃の温度だったとか。それでも、キャンパスはすっかり冬の色です。

ところで昨日は、「藩のしくみ」という授業で、藩政のしくみについて図を作成して、幕政のしくみの図と比較史ながら話をしました。下記の図がそれです。

藩政のしくみと言っても、特定の藩を示しているわけではなく、譜代大名をモデルとした一般的な概念図です。もっと言えば、藩士の「役職」を図示したものです。藩主の元で藩の重職を担うのが年寄や家老と言った役職で、一般的に藩主の一族か、譜代の重臣がこれにあたります。これらを「重役」と言います。それで、藩の役職には「表」と「奥」に別れています。奥は藩主の私的生活を司るものです。

また、藩士の役職は大きく「番方」と役方に別れています。江戸時代は軍事政権で、幕府も藩も軍事の組織を転用して藩のしくみを作っています。その第1は、軍事にかかわるもので、これを「番方」と言います。番方には、中士や平士などの士分を率いる番頭(組頭・侍大将)、徒士(馬に乗らない)を率いる徒頭(かちがしら)、そして足軽や若党を率いる物頭(ものがしら、足軽大将)を中心となります。足軽や若党は士分には含まれません。明治4年(1871)の壬申戸籍では、「卒族」に分類されています。また、中間(ちゅうげん)や小者などは、弓矢や鉄砲持ちなどの非戦闘員で、通常は一定期間雇用されるような形態をとっていて、これを武家奉公人と言います。

これに対して、目付や用人、右筆などの庶務・監察にあたる役職や、町奉行・勘定奉行・寺社奉行などの政務や藩の行財政を担当する役職を「役方」と言います。奥の役職もほぼ「役方」です。軍事政権である以上、番方の方が家格は上位になりますが、時代が進んで戦闘がなくなってきますと、とくに藩財政の再建が藩政の大きな課題となってきますので、「役方」の方が重要になってきます。そして、幕末期になると、また「番方」の比重が大きくなってきますが、従来の組織では対応できず、西洋式の軍制が導入されるようになってきます。

ま、そんな話をしていまして、今日はその一端をちょっと書いてみました。

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
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