小田原藩の順席(格席)

今日のつぶやき
小田原藩の順席(格席)

今年に入って、主に東京学芸大学で開講している日本史研究Aの授業で使った図表をもとに江戸時代の役職などについて書いています。まずは、藩のしくみと役職図(http://www.ihmlab.net/tweet/tweetblog/8198/)、江戸幕府のしくみと役職図【改訂版】(http://www.ihmlab.net/tweet/tweetblog/8212/)、藩士の家禄図(http://www.ihmlab.net/tweet/tweetblog/8219/)、徳川歴代将軍と幕政の画期図(http://www.ihmlab.net/tweet/tweetblog/8273/)とまぁ~幕政と藩政が入り交じっていますが…(^^;)

今回は藩の組織概念図を具体化してみましょう。と言うことで、小田原藩の組織と役職について図式化してみます。と、その前に、小田原藩では、藩の格席つまり藩士の格を表わす表現のひとつである座順を役職と対応させていました。これを「順席」といい、順席を示した帳簿を「順席帳」と呼んでいます。この順席は、役職を基準とし、ある程度現実の役職と対応していますが、そのままではありません。まずはこの順席帳をもとに、小田原藩の組織を表わしてみましょう。

藩のしくみと役職図にあわせて「表」と「裏」。「番方」と「役方」に分けています。それから、小田原藩特有の家格として、「御番帳入」と「御番帳外」があります。御番帳入は、士分の格で「侍分」とも呼ばれています。御番帳外は、いわゆる「徒士」に相当するものですね。で、足軽は御番帳入の役職に率いられて「組」に編成されていて、これを「諸組附」と呼んでいます。諸組附と御番帳外の間には「組抜」「組並」といったかくもありますが、ここでは略します。

藩政の中心は「大年寄」「家老」「年寄」と「御用人」で、これらを「重役」と言います。今でも重役は一般的に使われている文言ですね。ただし、大年寄・家老と年寄・御用人は明確に別れています。大年寄は杉浦家で1,500石、家老は大久保家・加藤家・辻家で800石から1,000石ですが、年寄は200石から800石、御用人は170石から350石と知行高に差があります。番頭は100石から1,450石まであり、番頭16人の内7人が1,000石以上ですから、石高との兼ね合いで考えれば、また相関図も変わってくるでしょう。

いずれにしても、順席をもとに役職図を作ればこのようになります。しかしながら、とくに江戸時代後期の実際の役職は、この順席とかなり違っています。それはまた、次の機会に(^^)/

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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