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江戸時代の”村” 本百姓と小農民経営と単婚小家族

let’s古文書のお題No.011新規百姓取立証文についてちょっと付け加えておきたいと思います。江戸時代の”村”の内実についてです。以前ちょっとお話ししたかと思いますが、江戸時代には、全国に6万8,000から7万2,000くらいの村がありました。全国といっても北海道の大半と沖縄は入っていません。今の市町村が1,719ですから、数だけではいえばたいへんな数です。江戸時代の村とは、例えば現在の”市”あればそれに続く地名、本学があるのは神奈川県平津市北金目で、この”北金目”が江戸時代の”村”=北金目村になります。相模国大住郡北金目村です。で、郡部にある町村は、大字(おおあざ)がだいたい江戸時代の”村”にあたりますね。私の実家は、福岡県八女郡広川町大字久泉(最近は、大字は表記しなくなりました)で、江戸時代は、筑後国上妻郡久泉村でした。つまりは現在の市町村は、だいたい江戸時代の村が合併をくり返して今に至っているわけです。

もちろん、村の産業は農業、というよりも漁業や林業を含む第一次産業といった方がいいでしょうね。田畑屋敷を持ち、年貢や諸役を務める義務を負う反面、村寄合や用水・山野利用の権利を持つのが本百姓で、村の中心を占める階層です。その下に土地を持たないが、一応家族を持って”自立”している水呑百姓と、本百姓に隷属している名子、被官、門屋そして家抱などの隷属(従属)農民層があるといいました。後、本百姓の中で旧家の系譜をひく家や経済力の大きい家が、関東では名主、関西では庄屋という村行政のトップやそれを補佐する組頭あるいは年寄、百姓の代表である百姓代といった”村役人”を務めることになります。

本百姓は、経済史の用語では「小農民」といわれ、その経営を小農民経営あるいは小農経営といいます。小農民経営の定義はだいたい以下の通りです。

①自分の土地を持ち、自己の労働力を投下して営む小規模経営
②経営の規模は、およそ1町歩(約1ha)≒10石程度の土地と屋敷地
③農具などの生産手段と生活具を自己所有している
④単婚小家族を中心とした家族形態による経営

まぁ①と③はいいとしても、1町歩≒10石程度というのはあくまでも理想です。それより大きな耕地を持つ地主もいれば、1石にも満たない土地しか持たない者もいます。だいたい、農業といっても専業でできるわけではなく、街道に近ければ馬などを使った運搬業とか日雇労働とか、いろいろと現金が稼げるような仕事を持っているのが当たり前です。うちの実家も私が幼い頃には、父は山から材木の伐り出しの仕事をやっていましたし、母も冬になると製紙工場に勤めていたりしました。今は専業と兼業に分けたりしますが、そもそも一般的な農業経営は零細なのが普通で兼業をやっていかなければ食べていけないのが普通なのです。こうした兼業を江戸時代では“農間余業(のうかんよぎょう)”あるいは”農間渡世(のうかんとせい)”と呼びます。こうした農業経営が一般化するのが江戸時代なのです。そこで④の単婚小家族というのがキーになります。

単婚小家族に対比されるのが複合大家族です。ここはまた図にしてみましょう。

おわかりでしょうか?単婚小家族というのは、1世代に1つだけ婚姻関係が存在する世帯のことをいいます。核家族とは違います。核家族は、だいたい子供が結婚したら別の世帯を構えて別居しますからね。ここでは家族として世代が繋がっていることが重要で、世代は3代でも4代でも構いません。早い話が現在の農業ってそうですよね。それがこの時代に確立したのだということです。

また、当主の善右衛門の弟の家族を直系に対して傍系親族といいます。傍系親族がいれば”単婚小家族”ではなくなってしまいますね。さらに、お題No.011にあった家抱のような、ここでは名子(なご)となっていますが、こうした従属農民の家族が入っている場合もあります。この家抱や名子には、先の①土地と③農具などの生産手段と生活具の自己所有という条件がないのです。で、お題No.011の証文では、はれてその条件を満たして独立=自立したというわけです。ただし、耕地は大麦2升蒔き程度の畑地だけです。小作や日雇労働などをやらない限りは生活していけません。いずれにしても小農経営とはそれだけ脆弱(ぜいじゃく)な経営が多かったのも事実です。

小農民経営がいつ成立するのかは議論のあるところですが、戦国時代が終わって、定住化が進み、幕府や藩も開発や領内の”富国”に専念できるようになって、こうした経営自体が一般的になっていくわけです。逆に、戦国時代は、複合大家族で生産や生活をしていかないと皆が生きてはいけない時代だったとも言えます。とはいえ小農民経営も脆弱であるということも忘れてはいけないと思います。それでも、小農経営の一般化は、小農の自立という過程が一つ大きな転機であったことを再度確認しておきたいと思うのです。

 

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
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