何が学びを妨げるか その3 大学数の推移と大学設置基準の大綱化

今日のつぶやき
何が学びを妨げるか その3 大学数の推移と大学設置基準の大綱化

またまた続編です。18歳人口の減少や少子化といった問題はすでに1980年代の後半には表面化していました。とくに大学業界でもそれなりに言われていました。でも、実際には、第2次ベビーブームが終わった1990年代初頭から18歳人口が減少するのとは反比例するように、大学の数は急激に増えていきます。とくに第2次ベビーブームの頃は受験競争が激しくて、それこそ最後の打ち上げ花火!?と言えるくらいです。とくに1986年からの7年間は、受験者数も大きく伸びて、「ゴールデンセブン」といわれた時期でした。我が校でもこの当時は、体育館に机を並べて、大きな暖房扇風機を回しながら入試をやっていたと聞きます。こちらも具体的にグラフを提示しましょう。

青色の折れ線が4年制大学で、緑色の折れ線が短期大学の数を表わします。まずは1962年頃のから1967年にかけて4年制大学・短大とも急激に数が増えていることがわかるかと思います。4年制大学では250校程度から380校近くに、短大は300校から470校強まで急激な伸びです。この頃が第1次ベビーブームの世代だったこと、そして何より高度経済成長のまっただ中だったことが重要でしょう。第1次産業の衰退から第2次産業へのバトンタッチが鮮明になっていきます。下のグラフは第1次産業から第3次産業までの就業人口の推移を示したものです。だいたい1960年代の前半には第1次産業と第2次産業のバトンタッチが起こっています。また、第3次産業にいたっては、これより早く、1957~8年を境にやはりバトンタッチが起こっています。農産漁業従事者から工場労働者へ…。そこで、高等教育を学んだ人材が必要になってくるのですね。理工系の学部を中心として始まった東海大学は、この頃は、そうした需要に応える中堅技術者を育成することが大きな目標の一つでした。ただし、技術者だからといって理系のことばかりわかっているのじゃいかん。文系の知識、歴史や文学、文化への造詣を深めることによって真に文明社会に貢献できるような人材が育つのだと。それはまた逆も真なり!で文系もまた、理系の知識、科学的な考え方をマスターする必要があるのだ!と、それが文理融合という教養教育重視の指針に繋がっているわけです。今でいうリベラルアーツですね。

大学数にまた話を戻しましょう。その後も4年制大学の数は380校台から、1990年前後の第2次ベビーブームの頃に520校程度と140校程度漸増していきます。短大もまた450校から590校程度とほぼ同数の変化が見られます。その後、18歳人口の減少が始まることは先に言ったとおりですが、4年制大学はその後も増加を続け、2004年には709校と700校を超え、2010年には770校を超えて778校。そして現在は780校となっています。この間、20年足らずで実に260校程度も増えているのです。これに対して短大は横ばいから1997年を境に急激に数を減らしていきます。1997年はまた4年制大学と短大の数が逆転する前夜でもありました。

18歳人口の減少と4年制大学の増加についてせっかく分析しながら、こうした現象を「不思議だ」という論調もありますが(「ついに早稲田・慶応も無試験で「はい、合各」の時代が来る それでいいのか大学入試」『週刊現代』2018年3月3日号/http://news.livedoor.com/article/detail/14426014/)これらの論調には、1991年の「大学設置基準の大綱化」という視点がすっぽりと抜けています。「大学設置基準の大綱化」は、ゴールデンセブンに代表される大学入試競争の激化に対応するために、あるいは大学間における競争を高めることを目的として、大学の設置基準を大幅に緩めてゆきます。従来は文学部や工学部など学部学科の名称もだいたい決まっていたのですが、これも緩和されていきます。これからですね、何だか訳のわからない、何を学ぶのかもわからないような学部や学科が開設されたり、改編されたりするようになっていくのは。いわゆる規制緩和ですね。ここで主力となるのが、短大から4年制大学への切り替えです。そして、珍しい学部学科の名称は、受験生を集める手段にもなっていきます。こららについてはさらに考えていきましょう。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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