う゛ぁ~計算間違えた!俸禄米金の支給

今日のつぶやき
う゛ぁ~計算間違えた!俸禄米金の支給

ただいま書いている論文のうち1本は、小田原藩の俸禄米支給に関する論文です。つまりは藩士の給料ですね。史料は、昨年のクラウドファンディングでいただいた資金で翻刻を進めている「吉岡由緒書」です。これには知行取340石の家臣であった吉岡家の俸禄支給米のが額が計上してあります。知行取というのは、領地としての土地を藩からもらっているという意味ですが、実際には、その分を藩庫から支給されています。これを蔵前知行と言います。小田原藩では、知行高100石に対して108俵の米が月ごとに支給されることになっていました。340石では、366俵6斗6升が本来の支給額です。ところが…

最も古い記事は、正徳元年(1711)で、俸禄米の支給を一律半分にすると言っています。宝永4年(1707)の富士山噴火から5年後のことです。吉岡家の実質支給額は、183俵3斗3升になってしまいます。このような実質上の支給米を「手取米(てどりまい)」といいます。今も変わりません年(^^;)そのほかにも役職を勤めれば役料もしくは役米や役金がもらえます。もっともこれは、その役職がその家の家格より高いものであった場合で、俗にいう「足高(たしだか)」ですね。足高は何も徳川吉宗の改革に限ったことではありません。そのほかにも余米(よまい)・別被下米(べつくだされまい)・増米(ぞうまい)などさまざまな名称の追加分がありますし、逆に差上米(さしあげまい)などと称して、藩から借金した場合は差し引かれることもあります。まぁ~天引きみたいなもんですね。

しかも全てが米で支給されるわけではなく、ものによっては、また時代によっては金子(きんす)で支給される場合があります。しかも江戸時代の貨幣には金貨・銀貨・銭貨があります。銭貨には通常の銭として流通しているものと、計算のみに使われる永楽銭(永楽通宝)を単位とするものもあります。金銀銭については、全てを金貨に換算する式を、また貨幣を全て石高を、石高を全て俵に換算する式をExcelで作成して計算させています。貨幣相場は、変動制ですので、本来はそれも考慮しなければならないのですが、いかんせん、複雑すぎますから、とりあえずはすべてを俵にかえたものをグラフ化してみました。

これがどれだけあっているか完璧なる自信はありませんが(^^;)文久元年(1861)の俸禄米に役料を加えることを忘れておりました。いやいや、実際は「吉岡由緒書」も読み取るのに労を要しますから、見逃したということです。

ということで『小田原市史』通史編近世の664頁 図9-1と、917頁の記述は書き直しが必要です。トホホ…。

でも、開き直って言えば、歴史は新出史料の出現はもちろんのこと、新しい解釈や時代の変化によって変わってくるものです。間違いを恐れず、さらには「過ちを改めむるに憚ることなかれ」ですね。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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