人が生まれて成長していく過程と、死んでから先祖の霊(祖霊)になっていく過程は似通っている。下の図は、ヘルマン・オームスという宗教人類学者が日本人の生と死のサイクルついての観念を概念図として描いたものです。授業用にちょっと色をつけてアレンジしています。
宗教学の世界では当たり前のことなのでしょうが、改めてみてみるとそうだなぁと思わずにはいられません。
人が生まれてこの世を生きていくためにつけられた名前が俗名。これに対してあの世での名前が戒名(法名)。誕生してから名前はだいたい7日目までにつけることになっていますよね。このお七夜が死去後の初七日が対応するのをはじめとして、産屋明き・宮参りが四十九日に、お食い初めが百か日に、そして初誕生が一周忌に対応しています。それから三回忌は実質2年目の命日の行事で、七五三の3歳の祝いも本来ならば数え年の3歳ですから、2年目の行事だったわけです。当然「周忌」という言い方と「回忌」という言い方には違いがあるわけです。
ちなみに江戸時代までは「0」という概念で物事を数え始めません。例えば借金をして3か年で返すと言った場合は3年後ではなくて、その年から1年目と数えますから実質2年後のことになります。3年後ということを示したいときには別に「中3か年」とか「中3か年季」などという言い方をするのです。
で、死後には5年の行事はありませんが、七回忌が七五三の7歳の行事と対応します。当時の成人は男子が15歳、女子が13歳と言われていましたから、十三回忌は言うなればあの世での成人でしょうか?十三回忌には遺体を改葬することになっているそうです。で、二十三回忌、二十七回忌は男女の結婚の年齢に対応するのでしょうか?だんだんと怪しくはなってきましたが(とりあえず専門ではないので…と言い訳をしておきます ^_^;)
いずれにしても、こうした行事を経て人は祖霊への道を歩むことになります。それは通過儀礼を通して成人への道を歩むのと一緒だというのです。そして三十三回忌になると通常は弔い上げと言って行事をやらなくなりますが、これはめでたく祖霊、つまり先祖の霊になったことを示すのです。祖霊となったご先祖様は山の神様となってイエとムラを守ります。また、山の神様は田植えの季節になるとサトに降りてきて田の神様になり、稲の刈り入れの季節が終わるとまた山の神様としてヤマに戻っていきます。こうして山の神様と田の神様をくり返すうちに誰かに生まれ変わると言われています。輪廻転生(りんねてんしょう)ですね。ちなみに輪廻転生という考え方自体は、そもそも仏教の教えにはないのだそうです。この誰かに生まれ変わる過程は、この世の人であれば、還暦から古稀、喜寿、米寿、白寿などを過ぎて老人から死へ至る過程と対応するというわけです。モデルケースだとはいえ、こうやってまとめてみますと、なかなかおもしろい観念ですね。つまりは日本人の死生観、世界観、宗教観ということになるのですが、これもイエとかムラが今に伝わる形で成立した江戸時代以降のお話しということになります。
この土曜日(17日)は父の四十九日の法要でした。本来ならば15日なのですが、土日にあわせました。この時期に実家に帰ることはほとんどありません。11月の下旬に実家にいるなど、いつぶりのことでしょう。うちの実家は、庭に大小の柿の木があることで近所では有名なのですが、それにしても今年の柿の実り具合はすごかったですね。
先のblogで、今年は巨峰が甘くて大きくて記憶にないほど実りがよかったと書きました。柿はだいたい1年ごとに豊作と不作をくり返すのですが、今年はとくにすごかった。採っても採っても減りません。これでも2日かけてずいぶんとちぎったのですが…(採ることをいなかでは「ちぎる」といいます)。
娘たちは初めての柿ちぎりに夢中になっていましたが、これもまるで父の忘れ形見のようで、ちょっと切ない心持ちでもありました。
四十九日というのは、「死者が次の生を得るまでの間の日数、今生の死と来世の生との間」のことで、「中陰」ともいいます。だから四十九日の法要は「中陰明け」ともいうのでした。つまり、いままでこの世に留まっていた死者の魂が、晴れてあの世へと旅だって行くというわけです。だから、この日にはだいたい納骨が行われるのですが、急に逝ってしまった父を納骨堂に納めるのはまだ忍びないというので、今しばらく、せめて今年中は実家に居てもらうことにしました。
ピンバック: 【徒然】2013 初春 帰郷 納骨 | Professor's Tweet.NET