【徒然】大山は快晴なり


大山阿夫利神社にお詣りしてきました。家族4人揃ってのお詣りは久しぶりのことです。ただ、今年はまだ喪中ですので、初詣ということでもなく、少し日にちをおいての参拝となりました。

喪中の期間に神社や寺院に参拝することについては、諸説があるようです。それはいわゆる死の穢れに関する問題です。仏教はそもそも葬式を執り行うわけですから、四十九日を過ぎれば初詣であっても参拝は問題はないようです。穢れの観念について厳しいのは神道です。もっとも、神道も神葬祭という葬式の形式はあるのですが、そもそも神葬祭の一般化自体は明治以降の話になります。天皇家でも江戸時代以前は仏教式の葬式を行っていたわけですからね。

神道では、仏教の法要にあたるものを霊前祭(れいぜんさい)や霊祭(みたままつり・れいさい)というそうです。霊前祭は、翌日祭・十日祭・二十日祭・三十日祭・四十日祭・五十日祭・百日祭と続いて、このうち、五十日祭が一つの大きな区切りとなるそうです。早い話が50日過ぎれば仏教の四十九日と同じだと考えていいようです。ただし、神社によってはやはり1年間は喪に服するべきだとされるところもあれば、もう少し早くても大丈夫だといわれるところもあって、それはさまざまだということでした。もちろん、地方によっても違います。

正直なところ、五十日祭というは不覚ながら私は知りませんでした。四十九日と1日しか違わないというのもおもしろいですね。まぁ、そういうことで、五十日祭も過ぎたのでまぁいいだろうということで参拝してきました。ただし、参拝はできても鳥居はくぐってはいけないとか、おみくじは引いてはいけないとかその他にもいろいろあるようなのですが…。

このような葬礼については長い日本の歴史の中で次第に形づけられていたものなのでしょうが、近世史を専門とする立場からいえば、やはり江戸時代に一つの大きな転機があったと言えようかと思います。5代将軍徳川綱吉によって出された服忌令(ぶっきれい・ふっきれい)の影響です。服忌令は、近親者の死について忌中や服喪の期間からそのやり方などを事細かに定めた法令です。そもそもは平安時代に朝廷—公家社会の発展の中で次第に整えられたといわれています。ただ、この服忌令は綱吉によって武家社会一般に広められたということが重要なのでした。綱吉は数次にわたって服忌令の追加を行っており、その規程は本当に細かいのです。

ここで何が問題なのかというと、そもそも武士という存在は戦闘集団ですから、人を殺めることが仕事のはずです。ところが服忌令では死を悼み、血の穢れを除去することが公然と法令化されているのです。綱吉といえば、生類憐みの令が稀代の悪法として有名で、とくに生まれ年の干支である戌(犬)を大事にしたことから犬公方などとも呼ばれます。でも、実のところ綱吉は、すべての生きとし生けるものの殺生を禁じたわけであって、だからそれはこの服忌令と対をなすものとして考えなければならないことなのでしょう。

「死を悼み、血の穢れを忌む武士」。開幕から100年、太平の世が進み、17世紀から18世紀に移る頃、確かに時代は大きく変わっていったのでした。服忌令と生類憐みの令。この二つの法令は、そうした時代の変化の中で考えていかなければならない問題でしょうし、実際、そのような観点から綱吉政権の評価も見直しが進んでいます。それは「穢れ」の再定義といえばいいのでしょうか。いわゆる「武士道」の成立と変化もそういった問題を含めて考えていかなければならないことなのではないでしょうか。

いずれにしても、このような慣習は当然のことながら、一般の庶民にも次第に浸透していきます。例えば、服忌令では父母が亡くなったときの服喪の期間を13か月と定めています。13か月であるのはきっと閏月が考慮されているのでしょう。どのみち1年間は喪に服さなければならないわけで、正月に年賀状を出さないのも、だいたい服喪の期間を1年とするのもこの時代が一つの大きな転機になったのかもしれません。

前置きが長くなりました。それにしても1年ぶりの参詣でした。そして今年も去年と同様、大山は快晴でした。

 

去年もblogで大山の初詣について書きました。去年は阿夫利神社の下社に登る階段に「頑張ろう日本」の幟旗がはためいていましたが、今年はありません。特別な1年があけたのだなと感じたものでしたが、今回は別の意味で私にとっての特別な1年があけたことを痛感せざるを得ませんでした。変わったといえば、鳥居をくぐるとその左側にこんな石塔?!が建っていてびっくりしました。

 

 

 

 

 

 

 

大山獅子」というそうです。明治期に大山を再興した権田直助という人の像も以前は本殿の右側にあったのですが、この「大山獅子」の右側に移されていました。この大山獅子の下には十二支の彫刻が並んでいました。去年は、辰年ということで良弁の滝の龍を紹介しましたが、巳年の今年は、この大山獅子の蛇を紹介しましょう。なんかちょっと愛嬌がありますよね。みなさんにとって今年が良い年でありますように…。

無事に参拝を終わっていつもの通りケーブルカーで帰ろうとすると、大山阿夫利神社駅の右側にこんな看板がありました。

確かに丹沢山系には熊が出没します。でも、出没を注意するんだったら、出没したときにどうするかまで書いて欲しいよねぇ〜、と、娘どもが言っておりました(^_^;)

帰りは「小川家」さんというお店で大山名物の豆腐会席をいただきました。大山の参道で車で行けるところの一番上にあるのが小川家さんです。ごま豆腐から始まって、豆乳の湯豆腐、豆腐の味噌田楽、豆腐グラタンなど7品で3500円くらいです。豆腐料理としてはシンプルですが、味がよくて、しかも駐車場もあるのでよく行くのですが、日曜日はなかなか予約が取れないお店です。

寒椿がひっそりと咲いていました。1月ももうすぐ終わります。

 

馬場弘臣 のプロフィール写真
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