【徒然】水戸の弘道館は今…


水戸に来ています。もちろん、仕事でです。何年ぶりのことでしょう。小田原市史の編纂で史料調査に訪れたのが確か1997年頃のこと。15・6年前ですか…。水戸駅もずいぶんときれいになっていました。

私の研究対象である、化政・天保期の藩政改革を主導したところの小田原藩主大久保忠真は、幕閣としても老中首座に勝手掛老中まで務めます。老中になったのが文政元年(1818)のことで、時の幕閣は老中水野忠成(ただあきら)率いる一派が牛耳っていたとされています。忠真は反忠成派の期待を一身に集める存在だったようで、水戸藩主の徳川斉昭もそうした忠真の手腕と人柄に期待した一人でした。二人にはそうした往復書簡が多く残っていて、といっても水『水戸藩史料』などの水戸側の史料でしか残っていなかったものですから、関連史料を求めて、彰考館の史料を調査に訪れたのでした。そうした成果は『小田原市史』の近世通史編で明らかにしていますが、いわゆる論文としての成果公表はまだです。まったく牛の歩みです。何年かかっているのでしょうね。

とりあえず、水戸藩の藩校弘道館を訪ねることにしました。水戸駅北口前の銀杏坂を登ったところに弘道館と、その向こうに大手の橋があるのですが、確かこの銀杏坂にはその昔古本屋があったような…。記憶違いでしょうか…。

弘道館が2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けたことは、ニュースでもさかんに報道していましたから、今どうなっているのかなと思って訪ねてみることにしたのでした。びっくりしました。重要文化財を中心とした建物は、今も復旧がなっていなかったのです。感覚的にはほとんど進んでいないといっても過言ではないような感じでした。あれからもうすぐ2年が経とうとしているのに…です。弘道館が開設したのが天保12年(1841)。172年ほど前にことになりますか。長い風雪に耐えてきたものでさえ、壊れるときは一瞬です。そしてそれが元の形を取り戻すにはさらに長い期間と費用がかかるものだと改めて思いました。いくつか紹介しておきます。今は、まだ復旧の途中だということで、外回りのみ無料で公開されています。工事のために建物は白い鉄板の塀で囲まれているのですが、ところどころ透明のアクリルみたいな塀があって中がのぞけるようになっています。クリックしてご覧いただければと思います。

ちょっとiPhone5のパノラマ機能も試してみました。ちょっとゆがみがありますが、ご勘弁を。

ついでに孔子廟と梅林の風景も…

梅の蕾はまだまだ固いままです。でも、一生懸命に蕾を膨らませようと梅の木々たちも頑張っていました。いくつかこぼれそうな蕾もみつけました。希望ですね。

我が家の庭でもSnowDrop 雪割草がひっそりと、しかししっかりと小さな花を咲かせています。

春よ、来い!早く、来い!駆け足でやって来い!!

馬場弘臣 のプロフィール写真
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