新しい歴史像…新しいプロジェクト…風立ちぬ


先に今月の13日に開催された江川文庫重要文化財指定記念並びに収蔵庫建設発起人会についてお話をしました。その際に行なわれた宮地正人先生の講演についてもちょっと紹介しましたが、この講演で宮地先生はこんなこともおっしゃっていました。

「日本人は歴史に学ばない。ただ時代小説が好きなだけ」。何より「しっかりした資料(史料)に基づいて論理的に考えるという思考に欠けている」のが日本人の欠点で、「はじめから思い込みで全体を語ろうと語ろうとする」傾向があるということでした。まさに我が意を得たりです。

そして今月の11日、専修大学の青木美智男先生がお亡くなりになりました。金沢に出張中に倒れられたとか…。青木先生とは、2005年に平塚市の博物館が主催した「ふるさと歴史シンポジウム」でご一緒させていただきました。「江戸の娯楽と文化の交流−厚木道・大山道・中原道−」というタイトルのシンポジウムでした。相模国の主要幹線といえば東海道ですが、このシンポジウムは脇往還とその周辺の文化の展開に焦点をあてたものでした。だから厚木道・大山道・中原道という副題がついています。相模国中央部における文化の中心の一つは「大山」です。江戸時代、山開きとなる夏山のシーズンには、8月のひと月で多いときには30万人くらいの人が大山石尊宮に登ったそうです。富士山登山とそう変わらない人数ですね。シンポジウムでは私がコーディネーターとシンポジウムの司会を担当し、青木先生には講演とパネラーをお願いしました。

2005年の6月16日の木曜日と記録しています。シンポジウムの打ち合わせを兼ねて、青木先生と、シンポジウムの仕掛け人であった当時の平塚市博物館の館長、土井浩さんと3人で平塚で飲みました。土井さんは、真鶴町史、小田原市史、大磯町史でご一緒させていただいて、私にとっては恩師です。いずれにしても、これが実質的な初対面でした。

その席でのことです。『文化文政期の民衆と文化』(文化書房博文社)という1985年に出された著作には驚いたという話をしました。青木先生は農兵などを題材に、がちがちの民衆闘争史が専門だったという意識があったものですから、この著書の中で展開された小林一茶論や文字文化の普及した19世紀前半の時代と民衆との関係など、それこそ目から鱗が落ちる思いがしたものでした。ただ、話をしていて、市井に生きる人びとを元に歴史をくみ上げていきたいという根本部分は変わっていないのだなと感じたものでした。なお、余談ですが、青木先生の一茶像と北條秀司先生が「信濃の一茶」で描かれた一茶像は、すごく似通っているように思っています。

そんなことについて話をしていた時でした。「馬場君、歴史家は新しい歴史像を常に提示し続けること、それが仕事だと思うんだよ」と、ぽつんとおっしゃいました。当たり前のことなのでしょうが、私にとっては衝撃でした。そうだよな。さて、自分はどうなのだろうと…。きちんと仕事をしてきた方の言葉にはそれぞれに重みのあるものです。

◎新しい個別プロジェクト研究

2013年度から始まる新しい教育研究所の個別プロジェクト研究が採択になりました。3年計画で、「東海大学の創立と発展に関する基礎的研究」という研究です。学園史資料センターにおける大学史、学園史についての研究も私の本業ですから、ようやく資料センターと教育研究所をリンクした研究ができそうです。論文による研究成果の公表以外にも展示会やシンポジウムなども予定しています。既報の通り、今年は湘南キャンパス開設50周年です。もちろん、この展示会も開催します。また、東海大学は2017年に建学75周年の記念行事を予定しておりますから、これにも関連してのものです。詳細は順次、お話ししましょう。とりあえず、このプロジェクト研究の概要については、このサイトのプロジェクト研究の研究概要をご覧いただければと思います。

2007年に専任となってから取り組んだのが、付属図書館が所蔵していた「幕末風聞集」5巻という古文書の翻刻でした。これはどうにか本にすることができて、2010年度からは「近代村落小学校の設立に関する基礎的研究」を始めました。これも既報の通り、明治6年(1873)に開校された栃木県安蘇郡閑馬村(現・栃木県佐野市)の閑馬小学校(現存しています)の、明治期に関する古文書(こもんじょ)を翻刻しようというものでした。実はこの3月にこの古文書の目録と、史料整理の経緯、目録のWeb化に関する経緯、明治5年の「学制」発布に関係した人物に関しての報告書は刊行したのですが、資料集についてはまだまだ編集中です。この過程で、先の目録ももう一度作り直しをしています。この夏の重要な仕事です。資料集については、電子化も考えていましたが、これももう少し時間がかかりそうです。そして明治期の初等教育から、今度は昭和期の高等教育の研究です。頑張ります。

◎風立ちぬ

7月20日に宮崎駿監督作品「風立ちぬ」が公開されました。公開日に早速、観ました。いろいろと賛否両論はあるようですが、私は非常におもしろかったですね。久しぶりにもう一度観てみたいと思いましたし、観に行くと思います。実話とフィクションと物語とファンタジーをよく組み合わせて描けるもんだと感心します。ただ、これは関東大震災から昭和恐慌、日中戦争、欧米における第2次世界大戦への道程といった歴史の基礎知識がないと話の展開が早いだけに理解することが難しいかもしれません。それも宮地先生ではないけれど、思い込みではなく、きちんとした「史料」からこの時代の「史実」をしっかりと勉強しておきたいものです。少なくとも宮崎駿という人はそれだけ勉強して、自分なりに消化して書かれているのだと思います。2011年の3.11大震災以降、子ども向けのファンタジーを描ける時代ではなくなったという言葉をもう一度思い起こします。もう一度観て、私自身もう一度、いろんなことを確認してみたいと思っています。

劇中で印象に残ったセリフ2つ。一つは堀越二郎の夢の中で、イタリアの航空機の設計者カプローニが二郎に与えた言葉

大切なのはセンス。技術は後からついてくる。

今ひとつ、同じくカプローニの言葉

創造的な人生の持ち時間は10年。君の10年を力を尽して生きなさい。

後でみたら、映画のパンフレットの中で立花隆氏もこのセリフに触れていました。

ついでに言えば、本学の歴史については、創立者が技術官僚であったということで(総合大学で技術者が創立者というのは意外と珍しいのです)、戦前から戦中についての技術者について興味を持っていましたので、その面でも非常に刺激を受けました。「美しいものを造りたい」。どこかの映画評で、「戦争のためではなかったという言い訳がうんざりする」みたいなことが書かれてあったのを読みましたが、もちろん、この当時は複雑な時代ですので、いろんな思惑が複雑に絡み合っていますが、ですが、技術者の熱意や純粋な気持ちをそんなに簡単に否定できるものでもありません。東海大学は戦時中、昭和18年(1943)に開校した「航空科学専門学校」を直接の母体としていますが、その意味についてももう一度しっかりと調べて、考えてみたいと思います。そんな過程での感想です。

新しい歴史像が提示できるのか。この10年、創造的な力は衰えたかもしれませんが、まとめる力に賭けて頑張っていきたいと思います。もう一度、史料に立ち返りながら…。

 

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