【徒然】八女茶発祥の地


生まれは福岡は八女。八女と言えば、知る人ぞ知るお茶の産地。八女茶は甘みと香りが強く、高級なお茶なのです。今でも自分で飲むのは故郷のお茶です。私の実家も小学校の頃までは茶の栽培をしていました。栽培を止めたのは、面積が狭かったこともありますが、やはりお茶は、湿気があって朝霧や朝靄が美しいくらいの山里の方が栽培には適しているのです。父の一周忌も無事に終わりましたので、八女茶発祥の地、福岡県八女市黒木町の笠原というところに行ってきました。まぁ〜ものすごい山の中です。笠原には親戚のうちもあって、やはりお茶を作っています。

そもそも八女茶は、明から帰国した栄林周瑞禅師という僧が、応永30 (1423)年に黒木町の山里に霊巌寺というお寺を建立するとともに、釜炒り茶の栽培・喫茶法を地元の庄屋 松尾太郎五郎久家に伝えたのがはじまりだとされています。戦国時代の始まる前、室町時代ですね。

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左側が霊巌寺に立てられている「八女茶発祥之地」の碑。左が霊巌寺の本堂に、栄林禅師の銅像です。これが本当にものすごい山の中にあって、下は霊巌寺の本堂の前から、上ってきた道を見下ろした風景です。

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この霊巌寺。実は日本三大奇岩の一つでも有名です。右の山の上にあるのがそうですが、わかりますか?男岩ともいわれています。それにしても、以前見たときよりなんだか小さくなったように見えて…。岩も年老いるのでしょうか(^_^;)

この霊巌寺からさらに上の方に登ると、松尾太郎五郎久家を継ぐ茶園があります。ちょっとひと言言わせてもらえば、久家が地元の「庄屋」とされているのは、江戸時代史の研究者としてはどうしても気になりますね。「庄屋」は荘園から出た遺称と言われていますが、江戸時代の「村」を統括する役人のことを言います。おおざっぱに西日本では「庄屋」と言い、東日本では「名主」(なぬし)と呼ばれることが多いのです。だからここは、「村長」(むらおさ)程度にしておけばいいのになぁ…と思ってしまいます。

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左側の写真が太郎五郎久家茶園で、右側にある建物のが製茶の工場です。ここも眺めがいいでしょう!茶畑の脇に咲く彼岸花とのコントラストがきれいでした。

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◎ついでに熊本城

ついでにこの前日に、今年もちょっと熊本城に足を伸ばしました。熊本城の天守閣と本丸は再建なのですが、宇土櫓は当時のもので重要文化財に指定されています。それにしてもここの石垣はいつ見ても見事です。

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上の2枚が宇土櫓で、下の2枚が大小の天守閣です。櫓と言っても熊本城の場合は他の城では天守閣ほどの規模があります。

この熊本城には、「おもてなし武将隊」というイベントがあって、演武などを披露して観光に一役買っています。

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おもてなし武将隊は、熊本城を建てた加藤清正をはじめ、黒田官兵衛、島津義弘といった戦国時代の武将たちに扮しています。名古屋城でもやっているそうですね。上は加藤清正の家臣、飯田覚兵衛です。これも実はですが、昨年の今頃も熊本城に来ていて、おもてなし武将隊の皆さんといろいろと話をしては、いくつかの施設を案内してもらいました。飯田覚兵衛殿、儂らのことを覚えておいてくれました。一番人気だそうですよ。ただ、去年に比べると少し痩せて、ずいぶんと日に焼けたようです。5月頃から暑い日々が続いてたいへんだったということでした。後、今年の黒田官兵衛は、昨年は福島正則役で、いろいろと解説をして下さったのですが、今は名古屋城に出陣されているとのこと、残念でした。いずれにしても「おもてなし」は、東京オリンピックの招致プレゼンテーションで滝川クリステルさんが使って、今や「時の言葉」ですね。

最後はおきまりのくまモンです。昨年、熊本城を訪れたときはまだまだレアものだったのですが、名義使用のオープン化も奏功して、今は全国区になってしまいました。その分、地元のものとしてのありがたみは少し薄れたようですが、でも、さすがに熊本!こんなものまでくまモンです!

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馬場弘臣 のプロフィール写真
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