鎌倉に来ています。深まりゆく秋の鎌倉です。深秋の、鎌倉の、材木座の海を眺めてきました。鎌倉へは今回もまた、文化財の調査で来ています。少し早めに来て、由比ヶ浜の駅から歩いてみました。ちょっと足を伸ばして吉井勇の和歌(うた)に詠まれた鎌倉の海を眺めてみたくなったのです。
鎌倉の 海のことくに ひるかへる 青草に寐て 君をおもはむ
扇形の色紙に書かれたこの吉井の和歌を初めてみたときも衝撃でした。北條秀司関係資料の中にあった色紙です。以前もこのblogで北條先生の資料にある掛け軸になった吉井勇の和歌を紹介しました。これも衝撃的だったと書きました。
君にちかふ 阿蘇の煙の たゆるとも 万葉集のうた ほろふとも
この和歌のどこにも「好きだ」とか「愛している」といった言葉は出てこないのに、溢れんばかりの想いが静かにしかし熱く激しく吹き出すようだと。
この和歌も静かな調べです。でも、ここでは「青草に寐て君を」想うのですから、その意味ではストレートです。ただ、その君を想って寐転んだ青草が、鎌倉の海のようにひるがえるって…。海がひるがえる。ひるがえる海のような青草。どんなに言葉を並び替えたとしても、下世話な私にはとてもこんな表現はできません。うまく言葉にできないのですが、風景を超えた情景と言ったらいいのでしょうか?青草の上を吹き抜ける風の香りや、寐転んで見あげた空の蒼さまでが目に浮かぶようです。だから君に向けた想いがじんわりと、だがしっかりと伝わってきます。そしてその海は「鎌倉の海」でないとだめなような気がして…。それを目の前にすると、確かにそうだと心に沁みてきます。材木座の海に着いた時にはちょうど雲が切れて、秋の眩しい陽射しが降り注いでいました。穏やかな深秋の、鎌倉の海は確かにひるがっていました。今、この和歌(うた)をそのままそっと誰かに届けたいような気分…と言ったらちょっと感傷的に過ぎるでしょうか^_^;
今日は久しぶりに藤沢から江ノ電に乗って来ました。私は江ノ電が大好きで、とくに鎌倉高校前の、住宅地を抜けて眼前に海がパァっと広がる風景にはいつもわくわくします。
材木座を選んだのは、光明寺というお寺を尋ねるためです。前々回のblogに書きましたが、ただいま大磯町郷土資料館で「一村寺領 高麗寺村」という展示会をやっていて、およばずながら私もそこで講演会をやります。高麗寺は大磯にかつてあった大寺院で、寺領として100石の寺地を幕府から拝領していて、その100石で高麗寺村という一つの村を形成していました。つまりは「一村寺領」の村です。鎌倉の光明寺もまた、一村寺領100石の村を拝領しているのですが、村自体は三浦郡にあって柏原村といいます(現・逗子市)。で、まぁ~同じ寺領100石を持つ寺として光明寺をみておこうかなと思った次第です。
天照山光明寺は、浄土宗鎮西義派の本山で、鎌倉三十三観音霊場の第十八番札所となっています。創建については、寺伝によれば佐助ケ谷にあった蓮華寺という寺を寛元元年(1243)に当地に移して光明寺と改称したとされていますが、異論もあるようです。古刹であることは間違いなく、元禄11年(1698)5月銘の棟札をともなう光明寺本堂は、国の重要文化財に、また山門は神奈川県の、総門は鎌倉市の指定文化財になっています。訪れてみると、とてつもなく大きくはないのですが、確かに立派な本堂です。元禄時代というのは、奈良の法隆寺や信州の善光寺に代表されるように、5代将軍徳川綱吉によって全国の寺社の大規模な修復や再建が行なわれた時代です。そういえば何となく善光寺に似ているような…。山門もまた立派です。
ちょっと興味深いのは、戦国時代の天文元年(1532)に小田原の北条氏が相模国三浦郡の一向宗(浄土真宗)門徒に対して光明寺の檀徒になるように命じたとされていることです。光明寺と三浦郡の関係は案外こんなところから繋がっているのかもしれません。
ちなみに今回の文化財調査では、鎌倉国宝館が所蔵している「籬菊螺鈿蒔絵手箱図(まがききくらでんまきえてばこず)」という絵画を検分しました。この手箱は、北条政子の所持品の一つと伝えられていて、現在、鶴岡八幡宮が所蔵している国宝「籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがききくらでんまきえすずりばこ)」と対をなすものといわれています。残念ながら手箱の原品は、明治6年(1873)にオーストラリアのウィーンで開催された万国博覧会に出品した際、その帰途に伊豆沖で運搬船が座礁沈没したために失われてしまったとのことでした。ただし、頼朝800年祭(1999年)を記念して、この模写絵をもとに復元されたそうです。絵画の現物を見ますと、幕末から明治の初めのものであることは間違いないようですが、誰が何のために模写したのか、なかなか謎の多い手箱図です。「阿波国文庫」という印が押されてあったのも不思議でした。「阿波国文庫」は阿波藩蜂須賀家が収集した典籍を中心とする収蔵品のことをいいます。ならばこの手箱図は蜂須賀家の手元にあったものなのでしょうか。興味は尽きません。いずれにしても…
海はひと続きです。この海のずっと先のどこかに悲劇の手箱はきっと、今も静かに眠っているのでしょうね。
吉井勇の歌は、やはりとても素晴らしいのです!
君にちかふ・・・・も好きですが、こちらも好きです。
静かに、じわりと沁みてくる歌だと思います。
江ノ電は、ほんの少しの路面電車区間も面白いですね。
素敵な記事を有り難うございました!
こんばんは、五月うさぎさん。またまたのコメントありがとうございます!嬉しいです。「君にちかふ…」を書いたのは、そう五月でしたね。「鎌倉の…」は私のイメージ的には初夏だったので、七月くらいには書きたかったのですが、そうこうしているうちに月日ばかりが過ぎてしまいました。でも、結果的にはよかったと思っています。やっぱりちゃんと自分の目で「鎌倉の海」を見てこそでした。人気のなくなった深秋の材木座の海は、本当に哀しいくらいに綺麗でした。写真もい〜っぱい撮ったのですが、たくさん載せると何だかうたの世界が壊れそうで、気に入った1枚だけにしました。江ノ電の路面電車区間も撮りましたよー。機会があったら載せたいですね。