2015年の初仕事


いつの間にか2015年も明けて5日が過ぎました。年末年始の流れはとくに速いですね。このblogも昨年の10月以来更新していませんでした。1回おっくうになるともうなかなか…(^_^;)

ということで、気分も新たに始めたいと思います。それにしても、今年の元旦は珍しく雪で始まりましたね。

 

 

 

 

 

 

 

左側は午前0時をまわったところで、近所の子の神神社に初詣に行ったときのものです。2012年のお正月のblogでも書きました。いわゆる「ムラ」の神様は、氏神様と鎮守様と産土神(うぶすながみ)様の三つの機能があると…。年明けの夜は月もきれいでした。ところが、夜が明けてしばらくすると右のように雪でした。雪景色で始まった2015年!果たしてどんな年になるのやら。

近況をお知らせしますと、1月11日(日)には関東近世史研究会の月例会で2014年度の大会第2報告、北村厚介さんの「川越藩文政改革における領主手限組合と関東取締出役」の報告批判をしなければなりません。場所は法政大学の大学院棟です。相模小田原藩を研究対象としておりますので、その立場からの意見を述べたいと思っています。2000年代に入って藩研究は大きく進展しました。これは「藩世界」「藩社会」「藩領社会」「藩国家」といった概念で藩の研究を総合化しようという動向によるものでした。関東の、とくに譜代藩については、これまで研究が十分だとは言えませんでした。川越藩などは藩の日記もあって、小田原藩からすればうらやましい限りです。でも、準備はこれからです。

それから同じく1月の24日(土)には、東京工業大学で時代考証学会の談話会というのが開催されて、私はまたまた劇作家北條秀司文庫について、アーカイブズ的な視点から報告します。これについてはすでに2013年の3月9日に本学で時代考証学会第2回サロンが開催された際に報告したのですが、今回はもう少しパワーアップしてお話ししようかと思っています。

で、この年末年始は、本学「文明研究所」の『紀要』に載せる論文の執筆でした。文明研究所のプロジェクトの一つとして「震災復興と文明」というのがあって、私はその研究員を兼ねています。そこで、私の研究テーマは、元禄16年(1703)の小田原大地震と宝永4年(1707)の富士山噴火の被害と復興に関する研究でした。これは「南足柄市史」や「小田原市史」を担当していた頃から少しずつ調べていたことで、とくに小田原藩との関係で、年貢の回復傾向についてデータをとっては調べたりしていました。今回はその年貢データによる分析の一環として、小田原藩領全体の年貢について検討したいと思っています。論文のタイトルは「元禄大地震と宝永富士山噴火-小田原藩領年貢データの分析から-」です。すでに次号の計画もあって、今度は各村の年貢について年貢割付状のデータ分析をする予定です。データ分析してグラフ化するとどうしてもグラフ自体が大きくなってしまいますので、なかなか公表できないでいました。しかも、これはあくまでも小田原藩政研究の基礎になります。また、公表されたらお知らせいたします。

何はともあれ、2015年度もしゃかりきに頑張っていきたいと思います。ということで、最後は、昨年の暮れに厚木駅前でやっていた大道芸ナオキさんの写メです。思いっきりファイヤー!といきたいですね。本年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

馬場弘臣 のプロフィール写真
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