3.11東日本大震災 東北紀行 Part.1 仙台から名取へ


昨日から東日本大震災の被災地視察のために東北に来ています。昨日は、東北新幹線で仙台に向かい、そこから仙台空港に行き、名取市の閖上地区に行ってきました。今日は、仙台から新幹線で一ノ関、それから大船渡線で気仙沼、そして大船渡線BRTで奇跡の一本松に来ています。実は、昨日のことは昨日のうちに書こうと思ったのですが、なにせ授業シラバスの締め切りでしたので、とにかくホテルに帰ったら必死でまとめておりました(*´ω`)なので、1日ずつずらして書いていこうかと思っています。

被災地の視察に来たのは、本学の文明研究所のプロジェクト研究の一つに「災害復興と文明」というのがあって、私もその研究員として参加しておりますので、現地を見てみようと思った次第です。2011年5月13日のblogでも書きましたように、震災が起こった3月11日に私は、実家の福岡に帰っておりましたので、実際の揺れを体験していません。ただ、テレビで流れ続けていた映像をただただ呆然と眺めていましたから、ある意味、体験した人たちよりもリアルタイムの情報には詳しいかとおもいます。名取川をさかのぼっていく津波があたり一面に広がる様子や、気仙沼の石油タンクが爆発して一面火の海になった光景、陸前高田の松原の景勝をあっという間に呑み込んでいく津波などなど…もちろん、福島原子力発電所の水素爆発もリアルタイムでした。この年には私自身が甲状腺眼症という病気にかかって入退院をくりかえして、その後もなかなか機会がなくて、4年目にしてようやく現地に足を踏み入れることができました。それにしても…です。仙台駅から仙台空港に着くと、早速、エスカレータにこんな表記を見つけました。

01-01IMG_0003

こんなところまで津波が来たのですね。3.11の時、津波につかった仙台空港を思い出します。さぁ、これから名取市の閖上地区に行こうと思ったのですが、写真でもわかりますように、当日は小雨がぱらついて、しかも風が強い。グーグルマップで調べてみると、閖上までは6Km弱で、片道1時間10分くらいだという。だったら歩いてみるか、途中の様子も見たいし…。と、思ったのが、すべての間違い。小雨も風も大変でしたが、何より困ったのは、震災後の工事などで道や橋の様子が変わっていて、全然たどりつかないのです。浜に出たくても途中で道がなくなる。あるはずの道がない。工事のおじさんに尋ねて、あ、あの橋を渡ろうと思ったら、工事中で渡れない。その点では、アップルのマップもあんまり役に立たなかったですね。でも、おかげで空港周辺を1時間半以上歩きましたから、いろんな風景を見ることができました。ただ、一言でいえば、荒涼たる大地…というのもなんだか悲しい風景です。空港だけが荒れ野の向こうにやけに目につきます。

02-0202-01

02-0302-04

右上の道は住宅地の道路だったようですが、周りにあるには枯草だけです。そんなこんなでうろうろするのですが、海の方にちょっとこんもりした松林が見えます。

03-0203-03

03-0403-05

曽田神社という神社の杜でした。ちょっと高台になると、違うようですね。ただ、悲しいことにここには津波で犠牲になった消防団員の方の慰霊碑と桜の植樹がありました。また、鳥居の側には、こんな看板て言ったらいいのか、励ましの言葉や絵が並んでいました。

さらにうろうろしていると、うろうろとしているといっても、グーグルマップを頼りに歩いているのですが、そしたらこんなとんでもないところに迷い込んでしまいました。

04-0104-02

04-0304-04

どうも飛行機の着陸を導く施設だったようで…、飛行機が飛んできているのがわかりますかね。しかも周りを見ると、木が焼け焦げた跡。津波の際に火事になったようですね。でも、そこの周りには新たな松が生えてきているのです。自然の力は恐ろしいですが、たくましいですよね。あちらこちらで少しずつでも工事が進んでいました。

05-0205-01

これは何のハウスを建てているのでしょうかね。いずれにしても、らちが明かないので、工事のおじさんに尋ねました。「え、閖上まで行くの?大変だよ」といわれつつ、もどって、あの橋を渡って、と教えていただきましたので、戻ってみると、もう空港は目の前。ちなみに途中にも橋が架かっているのですが、ただいま工事中。しょうがないので、タクシーで行くことにしました。この2時間近くは、でも、足で見て回るのにいい時間でした。ともあれ、閖上に行くにはタクシーで行ったほうがいいと、目七君にはさんざん言われていたのですがね。幸いなことにタクシーの運転手さんには、閖上のことはもとより、大震災当時のこともたくさんきくことができました。何より、震災の際には、津波が押し寄せてきた場所に家があったのだけれど、日ごろから逃げる訓練をしていて、地震が来た時に一目散に逃げたのだとか。人に笑われてもそういった備えが何より大事だとおっしゃっていました。

ということで、タクシーに乗って、閖上地区に行きました。改めて言うまでもありません。閖上は漁港で、名取市の中でも最も被害の大きかった地域です。行方不明を含めて、犠牲者は1000人を超えています。閖上地区にはさまざまなメモリアルがありました。まずは日和山。これは漁師が天候や海の様子をみるために大正9年(1920)に人工的に作ったものだそうです。日和を見る山だから日和山なんですね。で、津波はこの日和山をも超えて押し寄せてきたそうです。

06-0106-02

標高は6・3メートルだとか。山頂のお社は漁師さんたちが廃材を集めて作ったそうです。山頂からの風景を紹介します。

06-0306-04

IMG_009606-06

左上の写真で、向こうの方に見えるのが、閖上の漁港です。右上の写真、卒塔婆とそこに手向けられた花、その向こうに広がる荒れ野が悲しいですね。左下の写真の向こうの方には、名取川の土手が見えます。そして右下の写真。メモリアルと佐々直さんです。

06-07

メモリアルの高さは9メートル余で、これが閖上に押し寄せてきた津波の高さだそうです。呆然というしかないですね。左右には津波の犠牲となった方々の名前が刻んでありました。

06-092015-03-19 15.34.10

 

 

 

 

 

 

「佐々直」さんは、唯一残った建物だそうです。右の写真も日和山から眺めたものです。閖上に着いた時には小雨もあがっていて、雲の切れ間から雪が被った蔵王が顔をのぞかせました。よく言えば、希望のような山並みでしたが、考えてみれば蔵王も噴火の危険があるとか。自然の力はどこまでいっても脅威なのかもしれません。

馬場弘臣 のプロフィール写真
カテゴリー: 日々徒然, 歴史コラム パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*