いよいよ関東も梅雨入りをしました。そんなこんなの毎日で、昨日は、先週の土曜日の神奈川県立公文書館に続いて、小田原の市立図書館に史料の調査および撮影に行ってきました。もちろん、元禄16年(1703)と宝永4年(1707)の富士山噴火に関する史料を集めているのですが、小田原の場合は、私のライフワークでもある小田原藩の研究というのもあります。それにしても久々の小田原でした。何より、駅前のビルが取り壊されているのに驚きました。なんでも図書館も駅前に移るのだとか…。すっかり変わっていく駅前の風景に驚きつつ、城米曲輪の発掘現場を横目に見ながら、本丸の方へのぼっていきます。
小田原城の天守は、昭和35年(1960)5月に、市制20周年の記念事業として再建されたものです。小田原城の天守は明治維新を迎えたところで、解体して領民に売却されます。この辺については、『小田原市史』の近世通史編で書いていますので、興味のある方はぜひ読んでいただきたいと思います。
何にしても、小田原城のような石垣で造られた城郭も、天守そのものの存在が関東では少ない事例ですので、もったいないですよね。その解体された天守は、元禄16年(1703)の大地震でくずれたものを、宝永3年に再建したものでした。その翌年に富士山が噴火するわけです。
本丸にはまだ、お猿さんがいたのですね。その昔は、象や熊やライオンなんかもいた小さな動物園だったのですが。でも、動物を飼育するには環境が劣悪だと批判を受けていましたけれどね。この本丸を抜け、常盤木門を通って、市立図書館に行きます。その手前には郷土文化館もあります。これも古い建物で、開館は昭和30年(1955)ですが、建物自体は昭和20年(1945年)に神奈川県が小田原職業紹介所として、のちに女性の社会進出を支援する婦人専修職業訓練校として建設された建物を転用したものです。ちなみに図書館は県内で4番目に建てられたもので、これも開館して50年以上になります。小田原市民会館といい、昭和30年代の文化事業はすごいですね。
今回の調査では、主に小田原藩史の史料を中心に調査しました。それにしても図書館の前の崩れた石垣、これは関東大震災の時に崩れたと確か聞いたのですが、そのままなのがちょっと悲しいですね。ツツジの花がきれいなだけになおさらです。今回は、撮影室は特にありませんので、閲覧室を使っての史料撮影です。臨機応変!どんな場所でも写真を撮るのですが、それにしても本当にデジカメの時代になって便利になりました。県立公文書館調査の際にも触れましたが、バリアングルの液晶には助かります。
だいたい、午前中で撮影は終わりました。小田原城ではちょうど「あじさいと菖蒲まつり」をやっていましたので、少し眺めてきました。目の保養に紹介しますね。本丸の壁面に咲き誇るあじさいはまた、特に見事でしたよ。一気に紹介しますので、どうぞご覧ください。
左の写真は本丸の天守方面を、右の写真は常磐木門方面を撮ったものです。
先月には南足柄市の郷土資料館にも行きましたし、おかげさまでだいぶ史料も集まりました。ただ、ここのところ、古文書に触れる機会が減っていましたので、他ならぬ私自身の読解能力の方が心配です(^_^;)でも、やっぱり古文書は、歴史は面白いですね。こうやって一つ一つの古文書から解き明かして組み上げていく。そのこと自体が歴史研究の醍醐味です。
最後に、我が家のお花たちも紹介します。何せかみさんが一生懸命世話をしていますからね。少しは紹介してあげなければ…。
もう終わりかけになりますが、カンパニュラをはじめ、いろいろな花が咲き誇っています。しばらくはうっとうしい梅雨空が続くことと思いますが、みなさま、元気に乗り切りましょう!