7月も今日で終わりですね。今月はblogを書いておりませんでしたので、最終日に一つくらい…です。
ところで、先に報告した東海大学文明研究所『文明』No.19収録の「元禄大地震と宝永富士山噴火 その1—相模国小田原藩領のデータから—」ですが、下記のURLでみることができます。また、その下のURLからはダウンロードもできます。私が以前にUpしたものよりも画質がいいですから、興味のある方はぜひご覧ください。
「元禄大地震と宝永富士山噴火 その1—相模国小田原藩領のデータから—」
さて、一昨日、7月29日(水)には、鎌倉市の文化財専門委員の仕事の一環として、北鎌倉の東慶寺を訪ねました。東慶寺は、改めて言うまでもなく、縁切寺として有名なお寺です。今年は、井上ひさしの時代小説「東慶寺花だより」を原案に、大泉洋さんや満島ひかりさんの出演で話題となった「駆込み女と駆出し男」という映画も公開されました。まだ、観ていないのでDVDでも借りようかと思っています。
詳しくは右の看板をみていただくとして(完全な手抜きですね ^_^;)、東慶寺を訪ねたのは、こちらの古文書の修復を鎌倉市が計画しているためです。東慶寺の古文書は重要文化財に指定されています。修復は、今年度から6年計画とのことで、代々木上原にある半田九清堂という修復専門の業者さんがいらっしゃって、一緒に古文書の確認を行ないました。
右側が古文書を拝見した御坊です。東慶寺文書は、すでに神奈川県史編纂の段階で史料整理に入っているのですが、その後、重文指定のために文化庁が再整理に入っています。6年計画ですから、毎年の修復計画を立てなければならず、今回はそのための基礎作業として、修復計画に基づいて、古文書を確認していきます。
こんな感じで、慎重に作業の準備をして、目録との照合です。ところが、文化庁の目録の取り方が独特で、確認にちょっと時間がかかりそうです。中にはこんな古文書もあって、これまた慎重に取り扱わなければなりません。
竹べらを使って、慎重に慎重に剥がしていきます。今回は確認だけですが、修復の際には全部を開いて裏打ちをします。裏打ちというのは、古文書の裏側に和紙を糊付けして修復する方法です。いずれにしても根気のいる仕事です。
当日は午後5時まで確認作業が続く予定でしたが、残念ながら私は大学の仕事のために午前中で引き上げなければなりません。こっちの仕事の方がいい。後ろ髪を引かれる思いというのはまさにこんな気持ちですね(T_T)
東慶寺で縁切りを担当する所を「松ヶ岡御所役所」と呼びます。せっかくですから、最後にこの部分をUpしておきましょう。8月3日(月)には、午後から文化財専門委員会がありますから、久しぶりに北鎌倉から歩いてみようかと思っています。猛暑の季節ではありますが、それも一興です。それにしても暑い日々が続きます。皆さま、どうぞご自愛ください。