電子書籍時代の史料翻刻(10) ニ而江茂者与越より 外字は是か非か?


合字の種類

今日はひと月ぶりの授業で、しかも総合教育(一般教養)の講義科目。なのに台風が近づいているというし、どうなるんだろう…と思っていたら、お日さままで出てきて…。自分で言うのも何ですが、晴れ男の面目躍如です(^_^)vそれにしても久々の授業は疲れました。何せまだ二重に見える症状も治っていませんからね。

さて、前回は漢字の話になってしまいましたが、江戸時代の古文書の場合、旧字体や異体字にこだわらなければ漢字そのものに困ることはそうそうありません。もちろん、『大漢和辞典』や場合によっては「古今文字鏡」などにもない漢字が出てくることもあります。ただ、近世の古文書ではいわゆる今の新字体に旧字体、異体字などが混在して出てきますから、それも一つの古文書の中でもたっくさん混在していますので、あんまりこだわりなくやってしまいます。全部新字体でいいや、検索もかけやすいし、といった感じです。

ただし、漢字の旧字体と新字体・異体字と、いわゆる置き換え字については問題がかなり異なりますので、注意が必要です。例えば、本来「どこどこへまわる」といった場合、この「まわる」は今は一般的に「回る」を使いますが、本来的には「廻る」です。「回」は「まわる」意味でも、1回、2回と同じような事をくりかえすことを意味します。だから、「廻」と「回」は本来、旧字体(新字体)と新字体といった関係にはないのですね。「回」も「廻」ももちろんそれぞれに旧字体があります。つまりはこれも戦後の漢字政策の一環で、「廻る」という字を「回る」で代行させちゃった訳です。これを漢字の「置き換え」といいます。そういえば、「かいてんずし」って「回転寿司」と「廻転寿司」の二種類がありますよね。ま、そういった意味を厳密に考えれば、だから例えば、村と村の間を伝達する「かいじょう」は「回状」ではなく、「廻状」が本来の表現ということになります。その反面、「證文」の「證」は旧字体ですから、こだわらなければ「証文」で十分という訳です。そんな例はたくさんあります。最近の学生は旧字体そのものに触れること自体が少ないので、こうした事を理解してもらうことも重要な要素になってきます。さらに言えば。旧字体の使用方法が一番問題になるのは、実は戦前の史料なのですね。またそれはいずれ…。

◎助詞(ニ而江茂者与越)と合字

古文書を筆写し、翻刻しようとする場合、もっとも悩ましいのは、助詞の「ニ、而、江、茂、者、与、越」、すなわち「に、て、え(へ)、も、は、と、を」と、「より」をはじめとする「合字」をどうするかといった問題です。このような助詞は、助動詞などともに通称「てにをは」と呼ばれていて、古文書の場合は、ここにあるような漢字が使われ、しかも行の右の方に寄せて小さく書かれている場合が多いのです。もちろんひらがなやカタカナで「に、て、へ、も、ハ(は)、と、ヲ(を)」と書かれている場合も多くて、要は併用されているわけです。ここら辺にも厳密でない江戸時代の古文書のいい加減さと、それ故のおもしろさがあります。

「合字」というのは2つのひらがなかカタカナを組み合わせて一つの文字にしてしまうものです。上の図でみますと、左上の字がひらがなの「よ」と「り」を組み合わせ、それをさらにくずしていって、こんな文字になったのですね。もちろん「より」と読みます。同じようにその下はひらがなの「こ」と「と」を組み合わせたもので「こと」。これに対して、右はすべてカタカナを組み合わせるというより、合体させたもので、それぞれ上から「ト」と「モ」、「ト」と「キ」で「トモ」「トキ」となるわけです。最後の「コト」はほとんど原形をとどめていませんね。実際には「より」以外はそうそう出てくるわけではありません。ただし、その分「より」は頻出します。なお、上図の合字は、すべて古文書筆写用に外字として作成したものです。

そこでつまりは、この「てにをは」と合字をそのまま表現するのか、それとも全部割り切ってひらがなかカタカナに変えてしまうか、あるいはそれが忍びなければせめて文字だけはそのままにして、右寄せで小さく書くという慣習をやめて、他の文字と同じ大きさにするかという選択肢に迫られる訳です。ちなみにひらがなやカタカナに変えてしまうことを文字を「開く」と表現しますが、大正から昭和にかけての史料集などを見ますと、結構、開いて編集されているものが多いですね。印刷技術の問題などにもよるのでしょうが…。

ただ、私が編纂事業に本格的に関わりだした1980年代の半ばというのは、以前にも書いたとおりまだ活版印刷一色だったのですが、助詞は右寄せで小さく、合字の「より」もそのままでというのが当たり前でした。史料集を手がけている業者ならば、ちゃんと活字も用意してあります。余談ですが、同じ明朝体の活字、デジタル化の進んだ現在ではフォントですね、この活字でもフォントでも業者によって結構デザインが違うんですね。

いずれにしても、そうした中で編集作業にワープロソフトを使うようになると、さらに筆写もワープロソフトでやろうとすると、どうしても助詞も合字も再現したくなってしまいます。それは私だけでしょうか?研究者の性(さが)?、ただの凝り性か?でも、その影響でしょうか、私の周りはみんなそうやっていました。助詞や合字だけではなく、連名の均等割付や行間に肩書を配置する等です。詳しい要項については次回にまとめようと思っています。

でも、現実問題として、古文書はあくまでも漢文の一種ですから、助詞が小さかったり、合字があれば、読みやすくなるという利点があります。何よりこれが大きいのですね。もちろんひらがなに変えてもいいのですが、それだとやっぱり味気ない。これになれてしまうとやっぱり、それぞれがアクセントになって全体が読みやすくなるのですね。読みやすくなるというのは、理解しやすくなるということになります。

そもそも漢文というのは、中国語であって、漢文を学ぶということはこれを日本語として読めるように訓練することに他なりません。漢文が読み書きできれば、中国の文明圏であれば、朝鮮でもそれこそベトナムあたりでも筆談ができるようになります。それはさておいて、返読文字、再読文字に返り点をつけ、助詞や送りがなを補いといったような工夫をして、日本語として読めるようにしていったわけです。それだけたいへんな勉強が必要だったわけですが、だんだんと時代が下っていって、文字を読み書きすることへの欲求と必要性が高まってきますと、漢文の形式もだんだんと崩れていきます。もともとのほんまもんの漢文を「純正漢文」というのに対して、変化して日本語化していった漢文を「変体漢文」ないしは「和化(わげ)漢文」といいます。それは主に返読文字、再読文字の簡略化、つまりは返り点をあんまりつけなくてもよいといった方向と、ひらがなとカタカナが混じった「仮名交じり文」という形で変化していきます。

江戸時代の古文書=和化漢文なんてものは、それはもう簡略化の極みで、返り点も基本的には一、二点だけで、ごく稀に上、下点がつくぐらいです。「一、二、三、四…」点に「上、中、下」点それに「天、地、人」点なんて出てきません。そして助詞の存在は、送りがなとならんでまさにこの仮名交じり文の象徴なのです。助詞という「仮名」が「漢字」として混じる。しかもそれが区別しやすいように他よりも小さく書く。これもある意味偉大な知恵ですよね。やはり何とか再現してみたい。やっぱりそれはこだわりでしょうか。しかもできれば美しく見せたい。さきほど漢字にはこだわらないといいましたが、これにはやっぱりこだわってしまったのですね。それが江戸時代の古文書の大きな特徴にもなるのですから。ちなみ私は、論文を書くときには「てにをは」と外字は開いています。翻刻とは違って、そこにはこだわりはないですね。

◎外字は作ったものの…

それでまぁ、コンピュータで史料を打ち込むようになった頃から、そう1980年代の後半以降、ワープロソフトの「松」を使っていた頃から、自分でこの「ニ而江茂者越」に合字の「より」を外字で作って使っていました。当時のワープロでは、文字のポイント(文字の大きさ)を小さくして横にずらすなんて機能はありません。全角か半角(文字を半分の大きさにつぶす!)といった程度の機能でした。Windowsを使う現在では、ポイントを変えるなんて自由自在です。でも、いちいち小さくして右に寄せるなんて面倒ですよね。それに通常、本文が9ポイントだったら「てにをは」は8ポイントで右寄せ、10ポイントであれば9ポイントを基準としますから、だったら外字を作って登録した方が入力も早いし、きれいにできる。Windowsの時代は専用のソフトができましたので楽になりました。好きなフォントを選んで「元字」とし、これを小さくして右側に寄せれば終わりです。「より」については、好きな字体をスキャニングして(やっぱり業者によって結構、字体が違うのですね)、これを元に形を整えればOKです。MS-DOSの時代、「松」では外字はドット、つまり点で表現したのに対し、Windowsはグラフィックですから、線のデータ(ベクトルデータ)で表現しますので、とてもきれいです。でしょう!(上の図)

この外字を作ったのは、キヤノンのフォントギャラリーにあるタイプクラフトというソフトだったのですが、何と2007年に生産中止になってしまいました(T_T)ですからXPでは使えるのですが、Windows7では今のところ使えません。最低でも、授業で史料のテキストや配布物を作成するときは今のままでいきたいと思っていますので、目下の悩みの種です。

また、現在の緊急の課題は、「松」時代の外字をどのようにしてWindowsの外字に変換するかということです。MS-DOSがまだ使えたときに、他の字に変えておくとか、いっそ開いてしまうとか、何らかの対策を打っておけばよかったのですが、何せ量が多いから、どうしても後まわしになって、こうしてどうしても必要になったときに困ってしまうのですね。で、この5日間、あれやこれやと奮闘していた次第です。おかげさまで、どうにか変換には成功しました。やれやれです。

合字の「より」はどうやらビスタの頃からユニコードの導入で表示できるようになったみたいですが、字体がやっぱり気に入らないですね。まさか「てにをは」の6文字だけを登録はしてくれないでしょうし、う~む、悩みは続きます。

「てにをは」と合字を外字で作って表示させることは是か非か…。その外字が登録されていないパソコンでは、表示も印刷もできないですからね。でも、たぶん、私はこだわっていくことでしょう。次は古文書筆写の基本的なルールについてまとめましょう。

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電子書籍時代の史料翻刻(10) ニ而江茂者与越より 外字は是か非か? への1件のフィードバック

  1. 桑原英眞 のコメント:

    定年退職して場違いの古文書に興味を持ち始めて居たものの、難解で難渋しておりましたが、改めて自由な発想を知って、嬉しくなりました。これからは古文書も楽しみの一つになりそうです。そしてデジタル時代の過渡期にあったご苦労もよーく判るような気も致します。ありがとうございました。

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