富士山噴火 砂はどれだけ降ったか?


既報の通り、本日、2月21日(日)は厚木市史歴史講座の講演会でした。ところが、朝起きたら腰が痛くて…。腰を寝違えて?!しまったのでしょうか?ぎっくり腰の症状で、靴下を穿くのもひと苦労の状態でした(^_^;)

さて、これも既報の通り、講演のタイトルは「揺れる大地、怒る富士―元禄大地震と宝永富士山噴火―」です。会場は、アミューあつぎ7階のamyuスタジオです。アミューあつぎは昔、厚木パルコだったビルでした。始まる前の風景です。

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「スタジオ」ですから、本来はダンスや音楽のレッスンをする場所のようで、細長い部屋です。これではパワーポイントが見づらかろうということで、スクリーンを2つ設置していただきました。ありがたいご配慮です。ただ、ちょっとスクリーンが低かったかなと思っています。

レジュメを200部用意したのですが、増刷した分も全部捌けたとおっしゃっていましたから、それくらいは聴きに来ていただいたのでしょうか?おかげさまで会場は満席でした。10分の休憩があったとは言え、パイプ椅子に座るだけで、2時半から4時半までの2時間、よく我慢して聴いていただいたものだと感心しております。本当にありがとうございました。

レジュメもいくつか間違いがあって恥ずかしい限りですが、全部を載せるわけにもいきませんので、私がオリジナルで作成した表と図を掲載したいと思います。ま、ちょっとした研究発表ですね。

宝永4年11月22日、西暦で言えば1707年12月15日になります。富士山麓で強い地震が数十回続いた後、翌23日の午前10時頃、富士山南東部の斜面、標高2,100mから3,100m付近より突然の噴火が始まります。宝永の富士山噴火で特徴的な被害は、何と言っても16日間にわたって降り続いたという降灰の被害です。当時の記録では、「砂降り」もしくは「降砂」と言います。降ってきたのは「灰」如きではなく、本当に「砂」と言った感覚だったのでしょう。吹き上げられた砂が折からの偏西風に乗って、真東に流れていきます。その範囲は神奈川県、東京都を越えて、さらに千葉県さえも越えていきます。中央防災会議が公表した『1707 富士山宝永噴火報告書』にはこの砂降りの範囲図が掲載されています。この報告書はPDFファイルをダウンロードできますので、興味のある人はぜひご覧下さい。下図がそれです。

降灰の範囲

これは神奈川県立生命の星地球科学博物館で行なった地質調査によるものと聞きました。私が住んでいる厚木あたりは16cmの範囲内にあります。もっとも被害の大きい須走村(静岡県駿東郡小山町)では何と3mの火山灰が積もったと言われています。では、当時の記録では、どれくらいの「砂」が積もったと記されているのでしょうか。当時の史料をもとに作成したのが次の表です。

富士山噴火災害表

当時の記録でみれば、どうも先ほどの図よりも少し降砂の量が多いようです。しかも、これらの「砂」は雨とともに河川に流れ込むことで大きな被害をもたらしますから、影響を受ける河川についても記載があることが多いのです。確かにエリアとして考えれば、30cmや16cmのエリアに入るようですが、実際には降砂の量はもっと多いようです。これを地図に落としてみました。

砂降りの範囲と深さ図

少し見づらいかも知れませんが、30cmのエリアの中でも40cm以上の記録をみることができますし、16cmのエリアでも20cmを越えている場所が多いのです。

富士山噴火後の被害については、神奈川県の西部地域から静岡県の小山町や御殿場市の自治体史の通史編で多くのページが割かれています。また、上の図表にもあるように神奈川県中央部の自治体史でも取り上げられています。そうした成果を吸収しながら、歴史学の分野でも広域的に史料を集めて、被害はもとより、救済や復旧、復興の総合的な研究が必要でしょうし、それらを地質学や火山学などの分野と共有していくことが重要なのではないでしょうか。拙い話をしながらそんなことを痛感しておりました。頑張らねば…!

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富士山噴火 砂はどれだけ降ったか? への2件のフィードバック

  1. kanageohis1964 のコメント:

    こんにちは。

    現代の地質調査ということになると、やはり噴火から相当に年月が経ってからということになりますから、どうしてもその間の浸蝕などの影響もあって噴火当時より薄くなる傾向もあるのでしょうね。

    他方で河川の様な窪地は噴火後に降雨時の影響もあって厚みが増す傾向があり、増水の被害もあって記録が残りやすい傾向もありそうな気がします。川村山北の安永4年の文書に「砂地五六尺ゟ壱丈弐三尺迄之深砂」と途方もない厚みが記されていますが、山間では特にその傾向が強そうですね。

    • 馬場弘臣 のコメント:

      こんにちは、馬場です。コメントをありがとうございました。
      おっしゃるとおり、地質や河川の調査には誤差が生じることもあろうかと思います。文書に残った記録もオーバーに書いたかも知れないですし、歴史学の立場としては、ここはなるべく多くの史料を集めて、さらに充実できればと思っております。

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