東日本大震災からこの3月11日で5年が過ぎました。まだ5年、もう5年…その捉え方はさまざまですが、現状はどうなのでしょうか?昨年に続き、今年も本学文明研究所のプロジェクト「震災復興と文明」の一環として、昨年の宮城県の仙台~名取(閖上地区)~陸前高田に続いて、視察の旅に出ます。今年は岩手県の宮古市から久慈市方面に行く予定で、ただいま向っております。昨年の現状視察の様子もこのBlogで報告しましたが、今年も綴っていきたいと思います。ただ、昨年と違って今年は移動に時間が掛かりますので、あまり詳細なレポートはできないかも知れません。ただいま上京中です。
◎今回の視点 ― 震災遺構、モニュメント、イベント ―
今年の1月27日(水)に文明研究所の研究会があって、「関東大震災復興と観光政策―横浜復興博と箱根観光博」と題する報告をしました。1923(大正12)年9月1日の大震災に対して12年後の1935(昭和10)年の3月26日から5月24日までの間、横浜は山下公園を会場として「復興記念横浜大博覧会」なるものが開催されます。それも結構な規模です。さらに4月10日から6月8日の日程で、今度は箱根の湯本を舞台に「箱根観光博覧会」が開かれます。これは箱根側が積極的に働きかけたもので、横浜博覧会の第二会場という名目を得たのでした。この箱根観光博覧会の目玉として企画されたのが、今に続く「箱根大名行列」です。これには劇作家北條秀司の尽力がありました。
さて、一口に「復興」と言っても、何をもって復興とするかは難しい問題です。東日本大震災の後、今でも議論があるところです。生活インフラを含めて旧来の状態に戻すことを復旧するならば、復興には日常生活の再生以外にも、そこに新たな何らかの価値を付加することが必要になるかと思います。文明の再構築とも言えるでしょう。そこで「観光」は実は大きなきっかけであり、資源ともなってきます。関東大震災後のそんな状況をまとめてみたのが先の研究報告でした。
そこで復興記念横浜大博覧会や箱根観光博覧会などは、イベントを通じて復興を祝いながら、震災を振り返ってミル場でもあります。もちろん、「観光」という名の「経済活動」も重要な要素です。時は昭和恐慌の直後でもあり、戦争の足跡が近づいている時代でもあります。それだからこその「観光政策」で、ある意味、不気味なほど現在の状況に酷似しています。
とは言え、こうしたイベントが災害の「記憶」を確認する場でもあるわけですが、他にも災害遺構やモニュメントなども「記憶」の伝承という意味では重要でしょう。イベントが言わば「ハレ」の日的な行事に対して、災害遺構やモニュメントは日常的な記憶装置であるとも言えます。今日もニュースで、あの84名が津波で犠牲になったという大川小学校の校舎が災害遺構として保存されることが決定したとありました。昨年は、仙台~名取(閖上地区)~陸前高田と回って、震災復興の様子をみてきましたが、同時に奇跡の一本松や閖上地区の津波の碑などのモニュメントや災害遺構を確認したのでした。
今年はとにかく、三陸鉄道に乗ってみたかった。そう、NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台になった鉄道です。そして「万里の長城」とも称されたスーパー堤防のある町、田老地区を是非みてみたいと思ったのでした。
◎ハプニング発生!!
大宮からでもいいのですが、乗り換えが面倒なので、東京駅から秋田新幹線「こまち」でまずは盛岡に向います。赤い新幹線ですね。「こまち」は緑の東北新幹線「はやぶさ」と連結して東京駅を出発します。
どうです!こうやって並ぶとなかなか壮観でしょう!!ホームは撮り鉄でごった返していました。まぁ~私もそうですけれどね。それにしても新幹線の車内からみた岩木山がキレイです。雪の風景は絶景ですね。
こうして盛岡について、後は駅すぱあとで調べた通り、JR快速リアスに乗って一路、宮古へ!切符も買いました。2番線です。はい、出発時間もOK。ただ…
快速なのに1両編成。中もガラガラ…。すごいなぁ。でも、トイレもあるし、こんなものか…。と思っていました。ところが…。しばらく走ったら、「次は終点、終点」。えっ、早過ぎる。到着するのは15時52分のはず。まだ15分程度しか走っていない。慌てて車掌さんに聴いたら、昨年12月の土砂崩れが復旧していないので、今は宮古までは行くことができず、バスによる代替運転を行っているとのこと。えぇえぇぇ~、聞いてないよそんなこと。何処にもそんな張り紙は見なかったよ。切符売り場に行ったら、自動販売機で普通に「宮古行き」って出てて、しかも料金表とは別にボタンがあって、普通に買えたもの。ネットで確認してもそんな情報は出ていなかったし…。な、状況な訳です。
で、結局、降ろされたのが「上米内駅」(かみよないえき)という、何ともはやローカルな駅。
う~む、確かにここには通行止めだと書いてある。なら、盛岡駅にもう少したくさん書いておいて欲しいよぅ。それにしても、この時刻表自体が凄いですよね。数時間おきですよ(^_^;)で、乗ってきた電車は回送になるのでこれには乗れないとのこと。結局、タクシーを手配してもらって、盛岡駅に戻って、バスで宮古に行くしかないのですね。どうもこうやって間違える人がそこそこいるらしい。おかげでタクシーの運転手さんと震災当時の盛岡の話などを聞くことができて、それはそれでよかったのですね。それにしても痛い出費です。盛岡駅に着いたら、メーターが3,080円…。ま、しゃーないか…と思って支払おうと思ったら、何と、これはJRさんが費用をもってくれるとのこと。やっぱり私のような人がそこそこいるのですね。他の地方から来たらわかんないわ。
何はともあれ、ホッとしました。上米内駅での指示通り、盛岡駅の北改札に行ってバスの代替キップに替えてもらい、無事に15時15分のバスに乗り込みました。トイレ付のバスです。
結局、宮古駅にバスが着いたのが17時35分。本当に1日がかりの旅でした。夕ご飯は、三陸鉄道宮古駅の前にある「蛇の目 本店」というお店。泊ったビジネスホテルから紹介してもらいました。金目鯛に煮付けと刺身の定食です。これで1,850円は安いと思いませんか?
いずれにしても明日が本番。三陸鉄道を中の浜、田老、鳥越と回るつもりです。何はともあれ、電車の時間に気をつけなければ…。