切羽詰まる


「切羽」とは、刀の鍔(つば)の表と裏、柄(つか-刀を握る部分ですね)と鞘(さや)にあたる部分に差し込む板金のことです。だいたい楕円形で、中ほどに刀身を貫くための孔をあけています。この「切羽」に詰まってしまえば、刀を抜くことができない。だから「切羽詰まる」なのですね。

ということで、本学の卒業論文も切羽詰まってきました。12月は師走、師が走る季節なのですが、どちらかというと学生たちの方が追い込みのラストランですね。今年のゼミ生は5人。内容は…

近世後期の浪人についての研究。浪人といえば、辞書を引いても基本的には近世前期に敗戦や改易で仕官先を失ったことしかでてきません。近世後期にはねだりがましき存在として迷惑な存在である反面、農村では剣術を教えてくれる先生として雇ったりします。さて、この時期の浪人とは…。

鹿児島藩(薩摩藩)島津家の分家「都城」の研究。「都城」が管理する「領地」は3万石あって、実質上は支藩なのですが、幕府から正式に藩とは認められていません。萩藩(長州藩)の岩国や秋田藩の角館(これは5000石程度なのですが)など、そうした事例は多いのですが、ではさて、それは何なのか?その実態は?ということで、藩社会論や藩世界論といった近年の研究に一石を投じる…ことができるかも…です。

在郷町佐原(千葉県)の研究。在郷町とは、在方町ともいって、行政上は幕府から「村」として把握されているのだけれど、商業などがさかんで実質的には「町」と同じようになったところです。佐原はそういった意味では大在郷町で、常店と六斎市をめぐる内部の争論などおもしろいですね。

鎌倉の近世「都市」としての成立と名所化に関する研究。中世では鎌倉は明らかに「都市」として考えられているのですが、江戸時代になると、それぞれ「村」として把握されます。中世の都市としての鎌倉はそのまま近世都市としての鎌倉ではないのです。ある時点から鎌倉は近世的な「都市」として歩み始めるのではないか。佐原とはまた別の意味で興味深いです。

日野宿役人の佐藤彦五郎についての研究。彦五郎は、天然理心流の達人であって、近藤や土方などとも親しく、新撰組を支えた人物の一人です。地域社会における彦五郎の中間層として役割と、新撰組との関係についてまとめています。

私の担当は江戸時代後期のはずだったのですが、近世のはじめの方の卒論が3名です。ま、だから私も頑張らなければなりません。これは12月に入ってからのある日のゼミの風景です。

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ここは教育開発研究センターの共同研究室です。ただいま本当に追い込みの真っ最中です。で、先のblogでも書きましたように、願掛けで、全員が提出するまで髪を切らないと決めたのですが、それにしてもずいぶんと伸びてきました。まだ2週間以上ありますね。

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こうしてみると、白髪も増えました。ただ、さすがに髪が長くて、パソコン仕事や校正作業などでは邪魔になってきましたので、自分の仕事の際には髪の毛を結んでいます。額もずいぶんと広くなったものです(^_^;)先日、このままで事務室に行ってしまって、「先生、頭、どうしたんですか?」と事務の方に言われてしまいました。外していくのをすっかり忘れていました…。

大五郎…みたいですねとよく言われますが、子連れ狼の大五郎がわかる方もある年齢以上になってしまいました。中村吉右衛門さんの鬼平犯科帳も昨日が最終回でした。だから、わかってしまったあなたも…ですね(^_^)v

ところで、私も今、論文「元禄大地震と宝永富士山噴火」の続編、その2を書いています。小田原藩領全域の年貢米永収納量から復興の状況をみた前稿に続いて、今回は、平野部の米作地帯(3か村)、台地や山間部の畑作地帯(2か村)、田畑半々の中間地帯(2か村)に分けて、年貢割付状の分析から各村の回復状況とその特徴をみていきます。本当に細かい作業です。ま、私の方が書き上げるのは早いようですが、何はともあれ、あとひと頑張り、ふた頑張りですよ!諸君!!

馬場弘臣 のプロフィール写真
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