来たるべき未来に関するもっとも大きな予想図は、少子高齢化・人口減少-AI・IoT・ロボット-ベーシックインカムという問題の流れに集約されているように思います。私がPCを使い始めた1980年代の後半には、コンピュータが囲碁で人間を破ることなんて”絶対”にないと言われていたのですが、現実はそれを超えてしまいました。ディープラーニングの導入によるAIの急速な発達、通信だけでなくあらゆるものがインターネットとつながっていくIoTの急速な普及、そしてロボット技術の急速な進歩は、少子高齢化や急激な人口減少、あるいは地方の衰退を救う”救世主”でもありますが、そのいっぽうで、さまざまな職業が奪われていくという不安がことのほか喧伝されてもいます。Amazon Goの試みなどは、これから先、コンビニの店員さえ必要となくなってしまうことを暗示していますし、自動運転の発達はタクシーやバスはもちろんのこと、自動耕耘機や田植え機が進めば、農業の在り方自体を変えてしまいます。一体どんな未来が来るのでしょうか。ま、そうなると働ける人と働けない人が出てくる。貧富の差も都市と地方との差も大きくなる。そこで富の再配分の方法として、一定のお金を国民全員に支給するというベーシックインカムが一つの政策として提案されてくる…と、おおざっぱに言えばそんなところでしょうか?昨年、スイスでベーシックインカムの導入について国民投票を行なう…といったことがニュースになったのは、記憶に新しいところではないでしょうか。
いずれにしても、社会が変わって旧来の仕事がなくなってしまうことはこれまでも繰り返されてきたことですし、人口も爆発と停滞を繰り返していることも歴史が証明しています。とりわけ、私が専門とする江戸時代は、前期の大開発の時代を経過すると低成長の時代であるといわれていますし、人口もだいたい3000万人ほどで停滞するといわれています。そこで、このblogでは少し江戸時代の人口の特徴について考えてみたいと思います。
日本の人口史に関する概説書ついては、鬼頭宏先生の『日本二千年の人口史』(PHP研究所、1983年)や『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫、2000年)などをご覧いただければよろしいかと思います。で、江戸時代の人口については、8代将軍徳川吉宗が、享保6年(1721)に初めて全国の人口調査を行ない、その後、享保11年(1726年)以降、6年ごとに調査されるようになります。これが子の年と午の年にあたりますので、「子午改め」と呼ばれています。とりあえずは、関山直太朗著『近世日本の人口構造―徳川時代の人口調査と人口状態に関する研究』(吉川弘文館、1958年)に一覧表が載っていますし、Wikipediaでも関山著書と他の史料との差異などが検討されていますので、容易に知ることができます。ここではとりあえず、関山著書をもとに分析してみましょう。
これには武士や朝廷・公家などの人口が含まれていません。これらを含めてほぼ3000万人といわれているわけですね。でも、この表をみる限り、享保6年(1721)以降、宝暦6年(1756)までは、ほぼ2600万人で推移していたところ、天明6年(1786)にかけての30年間で一気に100万人近く減少していますね。天明6年といえば、言わずと知れた天明の飢饉の真っ最中です。ここまでの間が不明ですので、急激に減ったのか、それとも徐々に減ったのかは、これだけではちょっと分かりませんね。ただし、天明6年は底で、それから順次回復し、文化元年(1804)からは急激に人口が増えていることが分かります。文化元年から文政11年(1828)までの四半世紀で150万人ほどと急激な増加です。頃は文化文政文化、略称化政文化真っ只中です。でも、その後はまた減少に転じています。
とまぁ~これが限定はありますが、全体的な傾向です。でも、これを地方ごとにみていくともっとおもしろいことが分かります。さてさて…。