【徒然】雨の強羅にて…


土曜・日曜と療養を兼て箱根の強羅温泉に泊ってきました。土曜日はあいにくの雨で、はじめて訪れた強羅公園は、雨に煙って視界不良好でしたが、それはそれで風情のあるものでした。

強羅公園は、大正3年(1914)に「強羅園」として開園しています。大正期には、「小田原電気鉄道」という会社が、強羅を温泉地に別荘地という一大観光地として開発すべく力を注ぐのですが、その中心となる遊園施設として造ったのが「強羅園」でした。それでも、そこは箱根、ただの公園ではありません。「強羅園」は日本で最初のフランス式整形庭園という、誠におしゃれな公園として開園したのでした。下の左側の写真は開園当時の強羅園の絵はがきで、右は私が撮った雨に煙る強羅公園の写真です。視界不良好のためにはっきりとは見えませんが、噴水の形とかは変わっていても、当時の面影を残しながら、開園のシンボルとして植えられたヒマラヤ杉が大きく育っている様子に時代の流れを感じます。

2008年のことですから、もう3年前になりますか。箱根町立郷土資料館において、東海大学の付属図書館と共催で「劇作家北條秀司 箱根への憶(おも)い」という展示会が開催されました。私も及ばずながら少しだけお手伝いをし、「北條秀司と箱根・小田原の文化」というタイトルで講演などもしました。

「観光」の歴史には以前から興味がありましたが、それにしても明治以降の電力会社と鉄道と観光開発との関係は、非常に興味深いものがあります。箱根はまさにその象徴でもありました。地図を見たらわかりますが、箱根では、芦ノ湖湖畔の箱根宿へいたる東海道、今の国道一号線のルートですね(一部分はルートが外れていて、これを旧東海道といっています)。これとは別に小田原から箱根湯本をつなぐ電車(小田急線)が走っていて、箱根湯本からは「箱根登山鉄道」が温泉地を縫って強羅まで続いています。そして強羅から先は早雲山までケーブルカーが登っていて、早雲山からはロープウェーで大涌谷まで行きます。余談ですが、大涌谷、小涌谷は江戸時代には大地獄・小地獄と呼ばれていて、こうした名称の変化の中にも「観光開発」の足跡をみることができます。

箱根湯本から強羅までの8.9kmを結ぶ登山鉄道が営業を開始したのが大正8年(1919)、そして大正10年(1921)には下強羅駅(現在の強羅駅)から上強羅駅(現在の早雲山駅)の1.2kmを結ぶケーブルカーが開通します。小田原から箱根湯本間も馬車鉄道から電車への切替え、それを可能にした水力発電など、それぞれに興味深い話があるのですが、いずれにしても、現在の箱根の鉄道路線には、まさに明治以降の箱根開発の歴史がそのまま刻まれているのです。その大きなキー・ポイントとなるのが強羅の開発であって、「強羅園」の開園はその先駆けであったことがわかるかと思います。

北條先生は、大正9年(1920)に日本電力株式会社の大阪本社に入社するのですが、大正15年(1926)には自ら志願して東京本支社に転勤します。昭和3年(1928)からは小田原営業所に出向となり、同年8月には日本電力が新たに分離独立させた箱根登山鉄道の事務責任者として赴任することになります。ここでは箱根登山鉄道が運営する観光旅館や一福、ヒュッテ観光の経営にかかわる一方、新たに昭和13年(1938)に開業した「強羅ホテル」のオープンや宣伝を担当することになります。下が当時の強羅ホテルですが、このホテルは東京オリンピックの開催を見越して建設された、超高級ホテルだったのです。この東京オリンピックは、第二次世界大戦のために中止となった、あの幻のオリンピックです。ともあれ、箱根登山鉄道は、強羅ホテルの建設で外国人客の大増員を見込んでいた訳ですね。

ついでに言えば、北條先生は、今も続く箱根の名物、「箱根大名行列」の始まりにも関係しています。昭和10年(1935)のことです。この大名行列はもともと箱根の博覧会のために計画されたものでした。なぜ、この時期に博覧会をやるかというと、実は、これが関東大震災からの復興を記念した行事だったのです。昭和10年にはまず、3月に横浜で「復興記念横浜大博覧会」が開催され(3月26日~5月24日)、これに続いて4月から「箱根観光博覧会」が開催されたのでした(4月10日~6月8日)。その目玉が大名行列で、北條先生は環翠楼(皇女和宮が亡くなった旅館としても有名ですね)の鈴木二六さんとともにこの担当者となったのでした。箱根も関東大震災では大きな被害を受けています。その箱根も横浜も観光地としての復興をアピールするという大きな目標がありました。今度の東日本大震災でも観光の復興というのが一つの大きな課題になっています。彼我の時を越えた共通の想いに心を動かさざるを得ません。

ちょっと強羅から話が外れてしまいましたが、戦争中は一時期北條一家は強羅に疎開していたこともあったそうで、その頃の話もよく聞きました。いずれ強羅に泊ってみたいと思っていたゆえんです。療養を兼て、ようやくその思いが叶ったのでした。いずれにしても、箱根には、いろんな人のいろいろな想いや夢がつまっているのだと改めて感じた小さな旅でした。

箱根の梅雨といえば紫陽花ですね。でも、標高の高い箱根では、紫陽花の季節にはまだまだちょっと遠いようです。ただし、強羅公園では、温室で「あじさい展」をやっていました。とても珍しくきれいな紫陽花がたくさん咲いていましたので、最後に強羅公園から季節の便りをお届けします。

馬場弘臣 のプロフィール写真
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