【コラム】三浦半島の道と交通(3) 大通行時の負担(終) 


将軍の動座をともなう日光社参と上洛、外交使節としての朝鮮通信使に琉球来聘使。三浦半島の村々は、これらの大通行時に対してどのように対応したのでしょうか?あるいはどのような役割を果たしたのでしょうか?はたまた果たさなかったのでしょうか?あまりここで書いてしまいますと全部ネタバレになってしまいますので、それぞれにさわりだけちょっと書いてみますね。なお、新横須賀市史のサイトではまだ販売の告知は出ていないようですが、フルカラーで何と4,000円です。

◎継立場組合と役水主組合

こうした大通行時の問題を考える上では、実は、三浦半島の道と交通(1)で書いた人馬継立場と助郷役と役水主の問題が大きく絡んでくるのですね。少し付け加えておきますと。(1)に載せている地図を参照して欲しいのですが、人馬継立場には、横須賀村・小坪村・下平作村・秋谷村・本和田村・上宮田村の6か村があって、それぞれに助郷役の村々とあわせて「継立場の組合村(継立場組合)として「横須賀村組合」などといい、役水主については別に「役水主組合」と称しています。これがもっとも大きな意味を持ってくるのが日光社参の問題です。

◎日光社参と三浦半島

横須賀市では横須賀史学研究会をはじめとする研究会グループがたくさんの史料集を刊行されているのですが、日光社参に関する史料はあまり紹介されることがありませんでした。でも、横須賀市には享保13年(1728)の吉宗、安永5年(1776)の家治、天保14年(1843)の家慶の社参に関する史料がよく残っています。それ以前のものはありません。それもそのはずです。なぜ史料が残るかというと、日光社参の役を免除して欲しいからです。江戸時代では人と物を運搬する時には宿場ごとに人足と馬をかえて運ぶのですが、日光社参の場合は「泊まり継ぎ」といって、将軍の宿泊所まで一緒に運んでいくのです。ですから、宿場の人馬に助郷の人馬に加えて、普段はそうした負担をしていない関東の村々全域から屈強の人足と馬を集めるのですね。これを寄人馬役といいます。そしてそれはできれば避けたい負担なのですね。遠ければ遠いほどそうですよね。

それで、三浦郡の村々は、人馬継立役と役水主役を主な根拠として、人馬役の免除を願い出るのですね。浦賀奉行所が設置されたのが、享保5年(1720)、それからこうした交通体系が整備されたといいましたから、享保13年の社参から史料が残るのは当然のこと。当時は二重に役を勤めることは免除されるという「二重役負担回避」の論理が領主側とも共有されていましたから、遠国奉行である浦賀奉行所の、しかも海の警備も含めて勤めるということは彼らの大きな拒否―権利の淵源となった訳です。ただし、それはそうであることを幕府に認めさせなければなりませんので、三浦郡の村々は、それぞれの領主から担当の関東郡代の役人まで、それこそいろいろと手を使って免除を勝ち取ろうとします。その経緯が具体的で本当におもしろい。その辺の詳しい経緯については、『市史研究 横須賀』第7号に「相州三浦郡の継立て人馬役・水主役と日光社参人馬役」と題する論文で詳しく書いています。通史編では概略になってしまいますが…。

三浦半島の村々のほとんどが継立役組合か役水主組合に編成されていたことがわかったのも、実はこの日光社参人馬役に対する免除運動の史料があったからでした。五街道と違って脇往還の継立役など、その実態はなかなかわからないですからね。

享保社参に比べて安永社参の方が免除運動としてはより整ってくるのは当然ですが、もっともおもしろいのは、やはり天保社参です。これは老中水野忠邦による天保の改革の一環として行なわれたものということもありますが、その直前にはアヘン戦争がありましたから、三浦半島ではとくに警備体制の強化がはかられます。幕府自身が享保・安永の時とは違うのだからとはっきり明言するくらいですからね。とくに海の警備は、それまでの海防体制の総括ともいえるもので、さながら軍事訓練のような様相を示してきます。この辺については、横須賀市史でもお手伝いいただいた椿田有希子さんの研究がありますので、ぜひ、ご覧いただきたいところです。

◎朝鮮通信使の来朝夫役と三浦半島

朝鮮通信使も琉球使節についても、通行のための人馬はやはり「泊まり継ぎ」で提供されます。淀(京都府京都市)から江戸までの東海道沿道国々の村々に、やはり寄人馬役が命じられます。ただ、日光社参とはちょっと異なっていて、日光社参の場合は最後まで実際に人馬を供出すること(正人馬)にこだわりますが、朝鮮通信使の場合は、8代吉宗の代、享保4年(1719)に村々から供出させることを止め、人馬役そのものを江戸をはじめとする町人に請け負わせて「通し人馬」という形態をとるようにします。それが次の9代家重の代、寛延元年(1748)には寄人馬に戻されて、さらに10代家治の代にはまた町人請け負いの「通し人馬」に戻されるという経緯をたどります。町人請け負いの通し人馬では村々は「国役金」という特別の税を払うことですみますので、それでいいのですが、問題は実際に寄人馬を供出しなければならない場合です。ですから、寛延通信使に関する史料は、それこそ神奈川県内にはたくさんの残されています。これもまた、できれば人馬役を免除して欲しいという要求には変わりはありません。ただし、三浦半島には半島らしい特別の事情がありました。

江戸時代、江戸周辺の大河川では、多摩川でも相模川でも酒匂川でも橋が架けられていなかったことはよく知られています。通常は渡し船や徒渉(かちわたし)で川を越えていた訳ですが、朝鮮通信使や琉球使節が通行する場合は、特別に船を並べて造った橋―船橋が架設されました。相模川に架ける船橋のその船を提供したのが、他ならぬ三浦半島の浦々だったのですね。さらに三浦半島では、使節の宿泊所(寛延使節の場合は藤沢宿になります)に肴を提供する肴役を勤めていました。そのために三浦郡では郡全体の郡高のうちから9,000石を免除されるという特権が与えられていました。でも、船にせよ、肴にせよ、提供するのは漁村の村だけですよね。そこが問題なのですが…、さて、どんな問題が起こったのかはぜひ本編をご覧いただければと思います。

◎将軍家茂の上洛・還御と三浦半島

先にも書きましたように、14代将軍家茂が文久3年(1863)に上洛したのは、寛永11年(1634)の家光以来、実に119年ぶりのことでした。家茂はその後、元治元年(1864)、慶応元年(1865)と連年にわたって3回上洛を果たすことになります。最後の上洛は、第二次長州戦争のためで、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

この3回の上洛で特筆すべきは、上洛と還御に船、それも軍艦が使われたことでした。最初の上洛と最後の上洛(長州戦争御進発)こそ陸路でしたが、残りの3回の上洛と還御は船です。実は最初の上洛の時も当初は船を使う予定でした。いずれにしても、そうしますと、三浦半島の浦賀は、上洛であれば最初の、還御であれば最後の寄港地として利用されることになるのです。それまでであれば、つまり陸路を威風堂々と「行軍」するのであれば考えられなかったことです。ここでも幕末という時代の特徴が鮮やかに出ているといえるのではないでしょうか。浦賀に入った家茂は、もちろん浦賀を中心とした軍事施設を見て廻りますが、同時に当地の特産であるスバシリ(ボラの稚魚)などの網漁などをして楽しんでもいます。やや時代がかかった言い方をすれば、時代はまさに風雲急を告げているのですが、家茂はまだ弱冠18歳。今でいえば高校を出たばっかりの年代ですからね。つかの間の休息だったことでしょう。

◎拡大する三浦半島の交通負担

日光社参のところで、脇往還の継立役と役水主役が人馬役を拒否する大きな根拠となったと述べました。しかしながら、通常の交通夫役―脇往還役はちょっと違った様相を示してきます。18世紀中頃の宝暦年間以降になると、三浦半島の村々は、それまでの脇往還継立役に加えて、鎌倉雪之下村(鶴岡八幡宮が鎮座する村です)と金沢町屋村(現横浜市金沢区)という2つの継立場の助郷村々に指定されるようになってきます。金沢は、相模国金沢藩(のち六浦藩〈むつらはん〉)の所在地で、ここには鎌倉時代中期に創設された金沢文庫を有する称名寺がありますし、鎌倉はいうまでもありません。武家や公家、庶民を問わず、物見遊山の「観光地」となって次第に交通量も増大してくるので、どうしても人馬が不足してきたのでした。

さらに幕末になると、将軍家茂の上洛に長州戦争御進発のために戸塚宿、藤沢宿、大磯宿あたりの助郷役をも勤めなければならなくなるのです。しかも、本来ならばそうした交通夫役を勤める必要のなかったはずの東浦賀に西浦賀もです。もう、旧来の秩序は通じなくなくっているのですね。

『新横須賀市史』近世通史編の刊行を機に、ここではもっとも興味を持った日光社参に上洛、朝鮮通信使という大通行時の負担について、ちょっとだけ内容のさわりをご紹介しました。もちろん、こうした問題は三浦半島に限るだけではなく、相模国にだけに限ってもいろいろとおもしろい問題がたくさんあります。例えば、将軍家茂の陸路上洛の様子はどうだったのか、あるいは、明治に入ると天皇が東京にやってくるという一大行事もあります。ここら辺については実は『大磯町史』7 通史編近現代に概要を書いていますので、これも興味のある方はぜひ読んでみてくださいm(_ _)m

できましたら、いつかこうした大通行の問題を相模国村々に視点を据えた、地域社会史という観点から全体像として描いてみたいものです。

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