【徒然】2012年の初詣part.3 大山阿夫利神社


伊勢原市にある大山(おおやま)は、丹沢山系の中でもひときわ目立つ、美しい形をした山です(標高1246m)。山頂には奥宮として石尊宮があり、中腹に下社が祀られていて、下社まではケーブルカーを使って登るか、男坂と女坂という2通りの道で登ります。ちなみに男坂の階段は1段の高さが高くてきつく、下手をすると下社から山頂の石尊宮に登頂するよりもきついです^_^;

阿夫利神社は、祭神(大山祇命 おおやまずみのみこと)や鎮座する山の形などから山岳信仰から発生した神社と考えられ、古来、修験の聖地として知られていたそうです。江戸時代には、山頂の奥宮は石尊大権現(せきそんだいごんげん)と呼ばれ、現在の下社の場所には別当寺として大山寺(だいせんじ)が建っていました。大山寺は明治初年の廃仏毀釈でもっと下方の現在の場所に移されて独立しました。重要文化財に指定されている鉄でできたお不動様で有名です。廃仏毀釈前の大山の絵図を見ると、大山寺は多くの坊を抱える、それはそれは大きな寺院でした。

阿夫利神社の縁起によれば、奈良時代に僧良弁(ろうべん)によって開かれ、13世紀に鎌倉の大楽寺住僧願行によって中興されたと伝えています。先の鉄造不動明王は、この願行の発願(ほつがん)によると言われています。慶長10年(1605)には、徳川家康による僧たちの大粛正と修験の下山による御師(おし)集落の形成などを内容とした山内の大改革が行なわれ、その後の大山講(おおやまこう)を中心とした参詣の基礎が作られていきます。

大山は何より、別名雨降(あふり)山とも表記するように雨乞いの神様として有名なのです。今でも私の住んでいる厚木あたりでは、大山に雲がかかると雨が降るといわれますが、確かにその通りなのです。とくに夏場は南東季節風が丹沢の山々にあたることで大量の降雨がもたらされるそうですから、こうした言い伝えもそうしたところから来ているのでしょう。また、大山はひときわ高い山ですので、海路の目印になったそうです。要は農業、漁業、林業など広く産業の神様としてあがめられていた訳ですが、それ以外にも土建や料飲などの諸業や火消し団体など、とりわけ江戸市民層への信仰が大きく拡大していきます。江戸から1日で行ける遊山の場所としても最適だったわけです。「大山参り」は落語の題目にもなっていますよね。その他にも「ハツヤマ」といって成人への過程で登ることも多く、いわゆる通過儀礼としての役割もありました。こうなると何でもござれで、その信仰も関八州はもとより、北陸や南東北、東海地方にまで広がっていました。「関東総鎮守」と呼ばれるゆえんです。横須賀市史では、房総半島から船で大山に出かける参拝客のことについてもちょっと書いています。何せ、石尊様に登ることができる、盆山を中心とした夏山のシーズンには、宝暦年間(1751〜64)頃の記録として、ひと月で30万人が参拝したといわれています。それだけ、石尊大権現—大山寺は門前町の規模も大きく、江戸時代には幕府から100石の朱印地が与えられていました。この100石はすべて門前の坂本村となります。一口に100石といいますが、鎌倉にある寺社を除けば、100石の朱印地をもらったのは、相模国一之宮の寒川神社(寒川町)に、別名遊行寺(ゆぎょうじ)とも呼ばれる清浄光寺(せいじょうこうじ 藤沢市)、朝鮮半島とのつながりを由緒として持つ高麗寺(大磯町)くらいしかありません。1村が寺領の村ですから、言わば大山は寺として固有の領主でもあったわけです。

前置きが長くなりました。だいたい私は、神奈川県下ではどちらかというと東海道沿線の自治体史—市町村史の編纂に従事していまして、厚木市や伊勢原市などの県央部についてはあまり研究をしたことがなかったのですが、一つ大きな転機となったのが、2005年の11月に、同年度の「平塚市ふるさと歴史シンポジウム」として開催された「江戸の娯楽と交流の道—厚木道・大山道・中原道—」の司会を担当したことでした。当時平塚市博物館の館長をなさっていた土井浩氏(大磯町史や小田原市史でもご一緒させていただきました)が仕掛け人で、専修大学の青木美智男氏、國學院大學の小川直之氏、大山研究者の池上真由美氏がパネラーでした。ここで大山はもちろんのこと、いわゆる大山道—大山街道などの脇往還について、それこそものすっごく勉強になりました。馴れないだけにちょっと大変で、皆さんには本当に迷惑をおかけしたのですがね。でも、それが横須賀市史で三浦半島の道について考え、担当する上で大きな基礎となりました。いずれにしても、大山と大山道について書き始めたらきりがありませんので、この辺で…。

そんなこんなで、とにかく、大山阿夫利神社へは初詣はもちろんのこと、娘たちの宮参りなど、ことあるごとにお詣りに来ましたが、門前の風景として古い形を残していることと、何といっても豆腐料理がおいしいことがポイントですね。私は好んで豆腐を食べると言うほどでもないのですが、大山の豆腐はおいしいです。門前には本当にたくさんの宿泊所(御師の宿)があって、それぞれにおいしい豆腐料理を食べさせてくれます。昨日は誠に抜けるような青空で、参道もいつにもまして輝いていたようです。そうそう、大山にはケーブルカーに乗るまでに27個の階段を上ります。そこから下社(今はそのまま阿夫利神社駅となっていますが)まで5分ほどで登ります。

それにしても、これほどの晴天に恵まれたことはそうそうありません。とにかく到着した阿夫利神社(下社)の駅からの眺めは最高でした。山頂の石尊宮に行けばもっとすごいんでしょうね。初めてでした。金色(こんじき)に輝く海をみたのは。ちょうど海の向こうに大島が見えます。まさに大山の神鹿も驚くほどです。それにしても、参道のあちこちにもそうでしたが、「がんばれ日本」の幟がはためいていて、あの特別な1年から新年が明けたのだなということを痛感させられました。

駅から阿夫利神社に至る最後の階段を上る手前で手を清めて、いよいよお詣りです。もちろん、正月の祈祷をしてもらいます。何せ、「病気平癒」をお祈りしなければなりませんからね。それにしても、階段を上って鳥居まで行くと、ここからの眺めがまた最高でした。またまた初めてでした。江ノ島から三浦半島、そして房総半島まですべて見渡せたのは。下の写真でわかりますでしょうか。ちょっと写真をクリックしてみて下さい。

本当に見事なものです。さて、鳥居をくぐったら、その先は藁で造られた輪っかをくぐって拝殿へと進みます。この輪っかは正月だけのものです。拝殿では二礼二拍手一礼の儀式にのっとってお詣りをしますが…、いつからですかね、この形式が定番となったのは。以前は、神社でお詣りする時はまちまちに手をたたいていたと思うのですが、いつの間にか全国均一にこの形式を求められるようになりました。たぶん、神社本庁あたりの指示でそうなったのではないでしょうか。間違っていたら何ですが…。

拝殿の右側には裏に回る通路があって、ここで湧き水を飲むことができます。丹沢山系はいい湧き水の出ることで、それこそ知る人ぞ知るなのですが、大山もその選に漏れません。以前はこの水をいただくためによくお詣りに来たものでした。その先にまたさざれ石などが祀られていますので、手を合わせて、ぐるっと回って、拝殿の左側に出ます。そこには「武蔵川越」と書かれた鉄製の酒樽の、これは何でしょうね。とにかく立派です。とりあえず、拝殿の前でのお祈りを済ませた後は、中に入って正月の祈祷をお願いしました。

参拝が終わると、ケーブルカーで下って、今年は東學坊という旅館で豆腐料理をいただきました。結構、有名なお店なのですが、ケーブルカーの登り口の石段からさらに下の方に離れていることもあってなかなか行く機会もなかったのですが、これも初めてのことです。あ、その前に良辨というまんじゅう屋さんで「大山まんじゅう」を買いました。ここのまんじゅうはこれまた有名で、正月などは予約してから帰りに引き取るようにしないと買えません。小さいのですが、皮が薄くて、あんこがまたおいしいのです。東學坊は、良辨の少し下なので、もちろん予約してからお詣りに行ったのでした。

そうそう、東學坊で食事をする前に良弁の滝に立ち寄りました。良弁の滝の良弁もまんじゅう屋さんの良辨もいずれもあの開山の良弁からとったものです。良弁の滝は「かめ井」という旅館の隣にあって、滝の右隣には良弁の開山堂が建っています。この「かめ井」さんの豆腐料理もなかなかおいしいですよ。

ケーブルカーの手前には元滝というのがありますが、その昔、参拝登山する人は良弁の瀧をはじめとするこのような水場で水垢離をしてお詣りをしたとのことです。今は滝壺に入らないで下さいと書いてありますが…(^_^;)

ここがポイントなのですが、良弁の滝の水口は、竜の頭になっていて、「に」の札を握っています。そう、今年は辰年でしたね。縁起物です。最後に良弁の滝を紹介して、今年の初詣の〆とします。皆さまにとって、今年がどうぞよい年でありますように!

大山阿夫利神社はまた、子之神神社とも六所神社とも明治神宮とも東郷神社とも成り立ちからして違う神社でしたね。今さらながらですが、興味は尽きません。

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