神奈川県立公文書館古文書講座 宝永の富士山噴火と相模の村々


今日はまた、歩けば汗ばむほどの天気でしたね。9月23日のblogでも書きましたように、今日は神奈川県立公文書館の古文書講座でした。昨年は公文書館で開催されている古文書を読む会で、「元禄大地震と宝永富士山噴火」の古文書を読んだのですが、今回は、公文書館主催の古文書講座をやらせていただきました。ここでは2つの講座があるのですね。img_5104

 

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確認してみたら、2011年、2013年、2015年、そして今年と、ここのところ、公文書館の講座を引き受けることが多いみたいです。公文書館は、相鉄線の二俣川にあって、駅からはちょっと歩きます。二俣川といえば、運転免許試験場があることで有名で、公文書館はその側にあります。もちろん、運転免許試験場に行く人の数の方がずっと多いですが…。こんな感じの建物です。そう言えば、去年の6月6日に元禄地震と宝永富士山噴火に関する史料調査について、このblogでも書きましたね。本当は、まだまだ史料を集めたいところですが、今回はなかなか時間がとれなかったものですから、昨年、南足柄市郷土資料館でいただいた史料を読みました。壗下村(「まましたむら」と読みます)の加藤家文書で、富士山噴火から被害の状況、小田原藩や幕府の対応、領民の救済運動、二次災害としての酒匂川の洪水と、そのために破壊された堤防の再建に関する記録を読みました。この「記録」は何度も転写されたようで、『二宮尊徳全集』第14巻所収の「大口土手沿革史』という史料も同種の史料のようです。

今回は、応用編ということで、分量も多かったのですが、読み方を学ぶというよりも、あらかじめ解読文やレジュメを配っておいて、史料から読み取れることやその背景となることについて説明しました。

それにしても、150名を超えているといいますから、壮観です。これも以前紹介した、本学エクステンションセンターの生涯学習講座でやっている古文書講座は受講生12名で、割とゆっくりとやっていますから、なおさらです。いずれも皆さん熱心で、私自身がいつも刺激を受けております。

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PowerPointの画面がちょっと間延びして見えるのは、どうもスライドの関係みたいです。PowerPointには、16:9と4:3と2種類があって、通常は4:3を使うことが多いので、それで作成してきたのですが、どうも16:9で設定されているようでした。こちらのPCで解像度などを変えたりしてみたのですが、埒があきませんでした。後は、公文書館の機材を変更するしかないのですが、日曜日であいにく詳しい人が不在とのことでした。まぁ、史料も先に配ってありますから、ましてや150名もいますと後ろの方はほとんど見ることができないと思いますので、基本的には、史料と解読文とレジュメを見てくださいということで…。

それにしても、髪の毛が伸びました。写真を見ると一目瞭然ですね。髪を切りに行きたいのですが、時間もなかなかとれません。とりあえず、ゼミ生たちが無事に卒業論文を出し終わるまで…、願掛けといきましょう!

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【徒然】あちらの欅も… こちらの欅も…


秋もずいぶんと深まってきました。初冬との境目ですね。それにしても、14日のスーパームーンを見ることができなかったのは、残念至極でした。何でも68年ぶりとか…。

さて、今年も火曜日には、小金井市の東京学芸大学で、非常勤として日本史研究Aという科目を教えています。近世史、もっと正確にいえば幕藩体制史の概説ですね。

小金井のキャンパスには附属の小学校と幼稚園もあって、授業が終わる頃には小学生たち、下級生ですね、きっと。そのランドセル姿が可愛くて仕方がありません。しかも、今の季節は、色づく欅の情景が、ランドセル姿の小学生たちの後ろ姿をやさしく彩るようです。

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と、振り返ってみると、本学中央通りの欅もきれいに色づいて、かなり葉っぱも落ちています。11月初旬の建学祭を過ぎると、本当にあっという間に秋も深まっていきます。そうこうしているうちに、中央通りを今度は冬将軍が足音も高らかに闊歩する季節となります。

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こうしてみると、本当に似たような情景です。冬来たりなば、欅もあっという間に丸裸になっていくことでしょう。それにしても…

img_5067この噴水池の景色はどうでしょうかねぇ。手前に見えるのは、デンマーク首都、コペンハーゲンにある人魚姫の像です。ちょっとわかりづらいですが、空き瓶に花が生けてあって、それを抱いたようにも見えます。しかもその花が枯れているではないですか(>_<)噴水は和風庭園風で、庭園の向こうに見える像は、背広を着て杖を持った創立者松前重義像です。そしてその向こうには、Y字型の1号館が見えます。何ともアンバランスで…(^_^;)

せっかくですから、本物の人魚姫の像の写真を載せておきます。16年前にデンマークに行った際に撮ってきたものです。

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巷では風邪が流行っていて、私もひと月以上咳に悩まされました。何だか寒々しい風景で終わってしまいましたが、皆さまどうぞご自愛くださいますように。

 

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【徒然】iPhone7 ジェットブラック


とくになんということもないのですが、iPhone7のジェットブラックを購入してみました。6と比較しても形状はほとんど変わりません。7の特徴は、完全防水になったこと、そのためにホームボタンの使い勝手などが変わったこと、イヤホンジャックがなくなったこと、もちろんCPUが上がって速くなったこと、そして何よりApplePayに対応したことでしょうか。ジェットブラックは人気機種でしたので、手に入れるまでずいぶんと時間がかかりました。4日に購入しましたから、使用10日あまりですね。詳しいリポートはたくさん出ていますから、ここでは興味を持った上記の件について少し報告したいと思います。

img_4931iPhone7の形状は6と変わりませんから、確かにわくわく感はあまりありません。巷では、来年がiPhone発売10周年ということで、画期的なモデルが出るのではないかと噂しています。購入の主な動機は、ジェットブラックという鏡面仕上げの美しい「ブラック」がちょっと気に入ったことと、何よりApplePayを使ってみたかったからでした。

防水機能については、実際にそんな場面に出くわしたことがないので何とも言えません。ただ、以前、iPhone6をトイレに落として酷い目に遭いましたから、完全防水であれば、確かに助かります。その影響で押込み感が変わったというホームボタンですが、確かにその通りです。6までは物理的なボタンだったので押し込めばよかったのですが、7はちょっと微妙なタッチが求められます。困ったのは、アプリを削除しようとしたときで、押し込んでも違う表記が出て、削除できるしるしの×もつかなければ、アプリがゆらゆら揺れることもありません。これはただ指をそっと置くだけでいいらしくて、そうすれば確かに簡単でした。要は慣れですね。

防水機能のためになくなったイヤホンジャックについては、はじめはもともと使っていたBOSEのイヤホンをアダプターにつないで使ってみたのですが、やはり音質が落ちます。それより困ったのは、ボリュームを調整するリモコンが効かなくなったことでした。しょうがないので、イヤホンはまだ6を使い続けるという下の娘に譲って、新しくJBLのBluetoothのイヤホンを購入しました。スポーツタイプで耳にかっちり収まるコードタイプのものです。もちろんリモコンもあります。

Bluetoothのイヤホンと言えば、以前、2度ほど購入したときにはいずれも途中で接続が切れたりして使い物にならなかったものですから、多少心配しておりました。もちろん、コード式に比べれば音質は劣りますが、だいたいが外で聞くものなので充分合格点かと思います。ただ、切れてしまうことはないようですが、ときどきブツブツっと途切れる現象があるようです。無線である限り、仕方がないのでしょうかねぇ。とくにApple Watchをいじっているときに雑音が多いように思います。でも、コードが絡むことはなくなるし、本当に便利なことは便利ですね。

そしてApplePayです。登録の仕方はググればすぐ出てきますから、改めて紹介する必要もないかと思います。困ったのは、対応しているクレジットカードに制限があること。とくにVISA系のカードが使えないのは不便ですね。また、iPhoneのWalletで使う場合と、Suicaのアプリで使う場合は、チャージだけはWallet非対応のカードで使えるとかいろいろあって、面倒です。で、面倒は避けたいので、私はトヨタのファイナンスカードWith JCBカードを使うことにしました。

使ってみると確かに便利です。私はいわゆるオサイフケータイというのは使ったことはないのでわかりませんが、SuicaやPASMOのカードみたいにベターとIC読み取り機につける必要はなくて、先端部分をちょっこと触れるだけで通過できます。また、コンビニなど、Suicaが使えるところではどこでも使えます。後、QUICPayも使えるようですが、まだ使ったことはありません。ただし、場合によって、指紋のタッチ認証を求められることがありますから、まだまだとまどっているところです。

それにしても、スマホを使ったキャッシュレスは本当に便利です。後は、セブンイレブンのnanacoに対応してくれないかなと思います。かみさんには、そんなことしたら、使っている実感がなくて、使い過ぎちゃうんじゃないのと言われておりますが、それは確かなようです。結局は、使う本人に任されていると言うこと、その大原則だけは心得ておいた方が良いみたいですね。

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劇団若獅子 沓掛時次郎 トークショー


相変わらず咳が止まりません。もうひと月になるでしょうか?そんな中、既報の通り、本日は、劇団若獅子のトークショーでした。日本橋三越の6階にある三越劇場です。三越劇場は、戦前の三越ホールを引き継ぐもので、現在の劇場は1946年に開館したという歴史ある劇場です。と、その前に…

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日本橋三越の側に「福徳神社」という神社があることをはじめて知りました。何でも江戸時代には「富籤」を幕府から公認された神社だとか…。富籤は、いわゆる宝くじのようなものですね。ちなみに福徳神社の賽銭箱などにある「福徳」のマークは、徳川家康の朱印状と同じです。こんなところで見かけるとは!

さて、劇団若獅子の演目は、「沓掛時次郎」です。一宿一飯の恩義で、敵対するやくざを切ってしまう信州は沓掛生まれの時次郎でしたが、残された妻子が不憫だからと、自分が面倒をみることになります。一宿一飯の恩義で敵対するやくざを殺すという不条理は、今では理解できないかも知れません。しかも、妻子までも殺せと言われていたのですが、時次郎は、さすがにそれはできないと、逆に助けてしまうのです。妻子を連れて逃げる時次郎…。長谷川伸原作で、新国劇の創始者澤田正二郎が演出した新国劇の名作です。さて、時次郎らの運命は…。それにしてもこの子役の演技がうまかったですね。男の子の役ですが、演じたのはなんと女の子!う~む。

お芝居が終わったところで、劇団の主宰者で主役の時次郎を演じた笠原章さんとアシスタントの根本さん、そして緒形拳さんの長男の幹太さん、そして私の4人でトークショーです。お話しは、名優緒形拳さんのことについて、でした。緒形さんとの出会いは、このサイトの近代文化研究の中で詳述しておりますので、ご一読いただければと思います。私の一番の想い出は、やはり、このblogでも書いた、「間を怖がらなくていいよ」というアドバイスです。そして1番の魅力は、やはりその笑顔!あの笑顔で「頼むよ」と言われたら、まず断れません。

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幹太さんのお話は、もちろん、父・緒形拳について、でした。印象深かったのは、書いたものをその辺にポンと置いておいたら叱られたというお話しで、必ず手で渡しなさいと厳しく言われたとのことでした。書を大事にされた緒形さんらしいお話しです。その影響で、幹太さんも今は書家としても活躍していらっしゃいますが、書を書きたいと思ったのは、お父様がお亡くなりになってからとか…。先のblogで幹太さんから「未来展望」という文字を書いてもらったと書きましたが、本当に似ています。それどころか、ご本人もだんだんとお父様に似てきたように思うのは、私だけでしょうか?

ということで、トークショーの最後は、幹太さんが書かれた色紙の抽選会でした。「風」「心」「壽」の3点です。私はとくにプレゼントするものはなかったのですが、建学祭の際に、校友会でしょうか、特別に作ったという本校のマーク「Twave」の金太郎飴をおまけとしてお渡ししました。ちょっとちゃっちいかぁと思っていたのですが、意外と好評で、後からくださいという方もあって、3個入りの飴10袋がすべてはけてしまいました。

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ここのところ、咳が止まらなくて、のど飴ばかりをなめていたら、どうものど飴太りをしてしまったようです(^_^;)写真を見て反省しております。

なんにしても来年は新国劇100周年、そして劇団若獅子30周年の記念の年です。これからも応援していこうと思います。トークショーの中でも少しお話ししましたが、テレビでも時代劇が少なくなった現在、ファンが縮小していくのは時代の流れかも知れません。それだけに本格的な時代劇をみせてくれる貴重な劇団です。皆さんもぜひ、劇場に足を運んでいただければと思います。

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初めての藤澤浮世絵館


藤澤浮世絵館は、東海道線辻堂駅北口より徒歩5分、ココテラス湘南というビルの7階にある藤沢市立の美術館で、7月16日に開館したばかりです。それにしても辻堂駅の様変わりには驚くばかりです。そうそう行ったことがあるわけではないですけれど、1980年の後半にはじめて降りたときには、葬儀場だけが目立つ駅でした。

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訪問した目的は、大磯町史でご一緒させていただいて、まぁ、その前から何やかにやとお世話になっていた細井守さんと、湘南日韓親善協会の澤野義親さんに会って、協会40周年行事について打ち合わせをするためでした。来年の3月19日には記念式典を開催することになっていて、そこでは私は、朝鮮通信使と藤沢宿について講演をします。また、これに向けて小冊子を作成しますので、それも含めての打ち合わせでした。詳細については、もう少し明らかになったところでまた報告します。

それにしても、開館準備前に1度訪問していたのですが、スペース的には小さいながらも、なかなか充実した浮世絵館です。浮世絵について学ぶスペースなどもあります。

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言うまでもなく、江戸時代の藤沢は、東海道の宿場町で、参詣の島、江ノ島があります。藤沢と江ノ島、これが二大テーマです。そうそう、清浄光寺、通称遊行寺の門前町として栄えたことも忘れてはいけませんね。それだけにもちろん、著名な画家の手によって、たくさんの浮世絵が描かれています。本日は、細井さんにいろいろと解説してもらいましたが、江戸時代の、とくに後期の浮世絵にはただ描くだけでなく、いろんな仕掛けがしてありますから、ただ漠然と眺めるだけでは、その深さがわかりません。例えば、美人画として描かれているのかなと思っていたら、そこには七福神が隠れているといった案配です。話を聞いていて、自分の素養のなさを思い知らされます。

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何はともあれ、百聞は一見にしかず…です。ぜひ1度、訪れていただければと思います。来年度は、江戸時代の文化について卒業論文を書きたいという学生も多いので、ゼミ生を連れてこようかなと思います。絵解きではないけれど、「歴史図像学」と呼ばれる研究分野はまだまだ始まったばかりで、まず何よりも現物を見て、それもできれば解説を聞きながら見た方が絶対いいに決まっていますもんね。

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【徒然】霜月を迎えて…先駆けであること…


今日で、いやもう昨日ですね、10月も終りです。ということは、昨日はハロウィンでした!それにしても、ここのところのハロウィンの盛り上がりはすごいですね。まんまと商業路線に乗ってしまったようですね(^_^;)ちょうど2000年頃、代々木キャンパスに通っていた頃のことです。代々木上原には外国の方、とくに欧米の方が大勢住んでいらっしゃるのですが、ハロウィンの時期には、魔女のお母さんの後ろを仮想した小さな子どもたちがちょこんとついていって、お菓子をもらっている姿がそれはそれでかわいかったのですが…。もう土曜日のことになりますが、本厚木の駅までもこんな風景が見られました。厚木市のマスコットゆるキャラあゆコロちゃんです。

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img_4850ついでに、10月26日の水曜日は、前日からの雨が上がって快晴となり、富士山も初冠雪となりました。この写真もちょっと紹介します。3号館の9階から撮った写真です。

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◎告知No.1 学園史資料センター展示会「先駆けであること」

去る10月24日から、学園史資料センターの展示会「先駆けであること」が始まりました。「先駆けであること」は、本校のキャッチフレーズです。戦場を1番で駈けていく騎馬武者のイメージでしょうか?まぁ、先駆けは討ち死に覚悟ということでもありますが…。討ち死にを恐れずに新しいことに挑戦した…と、どこの大学でもそうですが、今年は「東海大学」が誕生でしてから70周年になりますので、その記念です。「東海大学」は「国防理工学園航空科学専門学校」を母体とするのですが、ちょうど70年前に旧制の東海大学が開学しましたので、「東海大学」としては70周年にあたるのでした。ちなみに来年は「国防理工学園」が認可した年から75年、つまりは建学75周年になります。

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展示会のチラシです。展示会場の風景はこんな感じです。

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11月1日から3日までは本校の学園祭、建学祭です。お立ち寄りの際にぜひのぞいてみてください。総合体育館の隣、5号館の正面入口から入ってすぐ左側です。

◎告知No.2 劇団若獅子 沓掛時次郎

劇団若獅子は、新国劇の後を継ぐ劇団(くわしくはこちらで)で、前回のblogでも告知しましたように、11月4日(金)、5日(土)、6日(日)の3日間、三越劇場は、いわずがな、三越日本橋本店内本館6階にある老舗の劇場です。

これまた先に告知しましたように、私は6日の午前の部に行って、緒形拳さんの長男の幹太さんとトークショーみたいなことに、ちょっと参加させていただきます。短い間でしたが、拳さんとの交流や人となりについてお話しできたらと思っています。

ここのところ書きたいことがいっぱいだったのですが、体調が悪くて、月初めにひいた風邪が治りきらず、どうしても咳が止まりませんでした。だいぶ楽にはなりましたが、おかげでいくらか楽になりましたので、まとめて10月の報告です。

最後に!

緒形幹太さんからちょっと書を書いていただきました。「未来展望」という文字です。これは実は緒形拳さんのHPのタイトルで、いつか書いていただきたいなぁと思っていたもので、この度、幹太さんに書いていただくことになりました。幹太さん、お父様に書の文字がよく似てきたようです。色紙の方は研究室に飾りましたが、長いものは表装して、玄関に飾ろうかと思っています。

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さぁて、今年も後2か月。冬将軍の足音も段々と近づいてくるようですが、何はともあれ、今年の仕上げといきたいものです。なかなか難しいですが…(^_^;)

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【徒然】大船は北條邸の秋…


先週の土曜日、15日と18日の火曜日に大船の北條秀司邸に訪ねました。改めて、大船駅から県立フラワーランドに向かう道すがらにある竹林に覆われた素敵な昭和初期の和風建築のお宅です。9月は雨が多くて、肌寒い日が多かったですが、2日間ともよいお天気で、むしろ暑いくらい。さすが晴れ男です!

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この門もかなり傷んできたようで、竹林の竹もずいぶんと痛んできているようです。昔は、といっても北條家の調査に入ったのが2000年のことでしたから、とりあえず、10年ほど前は、竹林ももっと勢いがあったように思います。

それにしても北條邸の凄いところは、普通ならちゃんとした文化財が普通に飾られたりしていることですね。

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この額は、名人と謳われた9代目市川団十郎の書です。玄関に、本当になんだかふつ~に掛けられています。ちょっと保存の観点からしたら不安なのですが…(^_^;)また、2枚目の写真は位牌の並ぶ床の間で、緒形拳さんも祀ってあります。土曜日には緒形さんのマネージャーだったハッピーさんも一緒でした。ハッピーさん、久しぶりの北條邸でした。うちはかみさんと下の娘が一緒で、当日は、神谷大介君も一緒でした。神谷君は、1番最初から北條邸の調査に入っています。

月曜日は緒形さんの長男の幹太さん、そして劇団若獅子の貴田拳さんと一緒でした。実は、今度の11月に三越劇場で、劇団若獅子が長谷川伸原作の「沓掛時次郎」を公演するのですが、公演の後にトークショーをやることになっていて、幹太さんと私は6日(日)の午前の部の終了後に舞台に上がることになっています。若獅子の主催者笠原章さんから依頼の電話があって、気楽に引き受けたのはいいのですが、いや、考えてみたら、そんなに大きな劇場ではないと言っても、天下の三越劇場ですから、気楽でもなくて、いやまいったぁと思っていたら、幹太さんから連絡があって、北條邸で少し打ち合わせ!となった次第です。

特に来年、2017年は、劇団若獅子の母体である新国劇が結成されてから100年ということで、気合いが入っています。9月公演では、新橋演舞場とゲストに市川猿之助さんや伊吹吾郎さんを迎えて、月形半平太と国定忠治を公演するそうです。これもぜひ観に行きたいと思います。時間のある方はぜひ観に行っていただければと思います。

%e6%b2%93%e6%8e%9b%e6%99%82%e6%ac%a1%e9%83%8e-1さて、北條邸といえば、やはり庭!庭の真ん中にデーンと鎮座するすすきを中心に、秋の気配がちらほら…。まだ、深まり行くという程ではないですけれどね。

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天気がよくて、とにかく抜けるような秋空です。まさに天高く…ですね。庭の池の前のベンチも変わっていなくて、ホッとします。ところで、先のblogで載せた熊のぬいぐるみのまわりの草はどうなったかと見てみると…

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草は切り払ったということでしたが、今度は右側の壁を突き破って生えてきています。何ともワイルドですよね。ちなみに右のお菓子は、ハッピーさんが自由ヶ丘で買ってきて下さったという、ゼリー?寒天?の中に果物を入れたお菓子です。どうやって作るんだろうと、みんなでわいわいやりながら、楽しい1日、いや2日でした。さぁて、トークショーについてはまた、ご報告しますね。なるべく恥をかかないように…っと。

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ついに200号…やっと200号…


このblogもついに!というか、やっと200号目に突入しました。情報史料学研究所のサイトを開設したのが、2011年の4月11日ですから、足かけ5年半ですか。本当にあっという間ですね。ちなみに100号が2013年2月2日付ですから、開設から1年と10か月。100号から200号までは3年と8か月ですか。ずいぶんとペースが違いますね(^_^;)何せ、サイトを開設してからの1年間は、甲状腺眼症にかかって3度の入院を経験しましたから、その分、時間もたくさんありました。目が悪いと言っても見えないわけではなく、まして他の部位はいたって健康でしたから、それこそ書く時間が比較的ゆっくりとれました。かといって、有益な情報だったかどうかは甚だ疑問ですけれどね。何せその時々で好きなことを勝手に書いていますから。よく言えば幅が広い。悪く言えば節操がない。浅く広くつついているだけですね。

その100号を記念して、何を書いていたかというと、サイトのリニューアルの予告で、一つには、過去のblogの記事をまとめて読めるようにしたいということでした。当時は連載記事として、1.電子書籍時代の史料翻刻(1)(15)、2.新・電子書籍時代の史料翻刻(1)(4)、3.史料学(1)(12)がありました。また、歴史コラムとして、東日本大震災元禄の地震と宝永の富士山噴火歴史気候学新・横須賀市史のことなどについて解説したり、分析したり、紹介したりしています。その他に「徒然」などといって、季節の移り変わりであったり、病気のことであったり、福岡への帰郷のことであったり、父の死のことなどをその時々に思いつくままに書いてみました。いくつかリンクを張ってみましたので、興味のある方はぜひご覧ください。

まぁ、これだけ書いていればくだらないことでもそれなりの形になってきます。こうした中でも、とくに連載記事としたものと、歴史コラムとして書いたものを中心にまとめてみればと思ったのでした。

二つ目には「栃木県安蘇郡閑馬小学校」の資料目録と資料集を刊行することでした。これはお陰様で、2014年3月に無事に刊行することができました。やれやれでしたが、それももう2年前のことになりましたか…。まさに光陰矢の如し。まだまだやりたいことはいっぱいあるのにね!

何はともあれ、サイトのリニューアルに向けて準備をしていきます。大学の日常などをblog形式で、つぶやくように毎日発信し続けるというのはどうでしょう。大学の日常というのは以外とわからないものなのではないかと…ただ、ぐだぐだと長くはしたくはありませんし、Twitterではちょっと物足りないので、だからといって毎日続かなければ意味はありませんから、「つぶやきblog」といった感じです。新聞などに掲載された歴史関係の記事だけを集めたキュレーターもやってみて、その上で、重要なことにだけコラムで書くなんてのもどうでしょうか。もちろん、古文書を読む、学ぶといったコーナーも設けたいですね。後は、とくに古文書の用語辞書的なものですね。普通の国語辞典はもとより、小学館の『日本国語大辞典』も単語、用語の数は足りないですよね。古文書用であれば、K株式会社ADOKAWAの『新版 古文書用語辞典』が今は1番でしょうか。それでも足りない用語はたくさんあります。ウィキペディアの運営サイトが公開しているフリーソフトのmediawikiを使って、ウィキペディアみたいに検索できて、後から追加や修正が自由にきくようなものがいいかなと思っています。

あれやこれややりたいことは山積みですが、何はともあれ、始めてみるのが一番ですね。ただし、サイトのリニューアルはひとりではできませんので、来年の4月、6周年を目途に何とか頑張っていきたいと思います。200号を記念した誓いでした。

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ゼミで鎌倉を廻る


今週はどうも体調が悪くて、日曜日、やたら背中が痛いなと思いつつ、月曜日に授業が終わって帰って熱を測ると38度2分。いや~久しぶりに38度を超えてしまいました。とは言え、約束はなかなか破るわけにもいかず、火曜日には付属望星高校へ、水曜日はいつもの如く授業を済ませ、6日の木曜日は、これも約束通り、ゼミ生5名を連れて鎌倉散策です。熱はほぼ下がっているので、問題はなかったのですがね。学生に風邪をうつさないようにすることの方が気を使ってしまいます。

今回の目的は、卒論で近世鎌倉の成立に関する研究をやっている学生がいますので、そのための調査です。詳しくは割愛しますが、私どもは鎌倉といえば、源頼朝が幕府を開いて以来、一つの政治の中心地であり「都市」であると思っています。江戸時代の鎌倉は、政治都市ではありませんが、かわりに「信仰」の町、「寺社参詣」の町、平たくいえば「観光都市」だと思っているのではないでしょうか?であれば、行政的には「町場」として把握されているはずなのですが、なぜか鎌倉は、鶴岡八幡宮が所在する「雪ノ下村」をはじめ、「村」として把握されているのですね。しかも、村高には石高ではなく貫高が使われいる。「観光都市」としての鎌倉については、原淳一郎さんの詳しい研究があるのですが、要は戦国時代から江戸時代に入って諸寺社が復興するまでにタイムラグがあって、そしてある時期から「鎌倉」が主体となって、まさに江戸時代的な「名所化」をはかっていく。その間については、意外と研究もなくてはっきりしていないのでした。そこで、一つのヒントになるのが、市の文化財に指定されている「相州鎌倉江之島絵図」です。17世紀後半の成立と考えているのですが、この絵図が今、鎌倉国宝館特別展「国宝 鶴岡八幡宮古神宝」で展示されているのです。 

当日は、国宝館の浪川さんにこの他の絵図にも触れながら、丁寧に解説していただきました。ゼミ生達は、絵図の意外な大きさに驚きながら、興味深そうにみていました。当日は鈴木館長もいらっしゃっていたのですが、残念ながら来客中でお目にかかれませんでした。でも、どうのこうの言ってもやっぱり現物を見るのが一番です!

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国宝館での調査を終えた後は、鶴岡八幡宮から東の方面、頼朝の墓、荏柄天神社、鎌倉宮、永福寺跡、そして瑞泉寺まで歩いて案内しました。

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頼朝の墓はすでに江戸時代にはそう呼ばれているようです。いわゆる供養塔ですね。この付近が鎌倉幕府の正式な名称「大倉幕府」の近辺と言われていますからね。興味深いのは、この石垣をはじめとして廻りを整備したのが、近世後期の薩摩藩主島津重豪(1745~1833)だったということです。重豪は蘭学・実学好きで、しかも浪費家だったといわれていますが、幕末に向けての薩摩藩の基礎を気付いたひとりであることには変わりはないかなと思っています。島津家も源姓ですからね。

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荏柄天神社です。天満宮は学問の神様ですから、何はともあれ、ちゃんと卒論が書けて、無事に卒業できますとゼミ生たちはお祈りです。荏柄天神社の本殿は、鶴岡八幡宮を2代将軍秀忠が改築する際に、若宮を移したものとかで、重要文化財に指定されています。荏柄天神社には左の方向に絵筆塚というのがあって、名だたる漫画家が河童の絵を寄せています。見えていても訪れる人は少ないようですが、ぜひみていただきたいものです。

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アトムとドラえもん河童です。

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鎌倉宮永福寺跡です。鎌倉宮は護良親王を祀った神社で明治期に建てられました。当日は、境内で能をやるための舞台がつくられている最中でした。

2枚目の写真は永福寺跡です。ずいぶんと長い間、整備工事が行なわれていましたが、こんな感じで公開していたのですね。礎石の柱の後が結構見事です。

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最後は瑞泉寺です。この窟の後、結構、テレビの鎌倉案内とかでも紹介されていますよね。

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みんな、こちらの方面ははじめだということで、楽しんでもらえた…ようです(^_^;)鎌倉もまだまだ奥が深いですね。

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史料に出逢うということ。


まったくの偶然なのですが、本学望星高校の校長代理の先生から、湘南校舎の知り合いの職員を介して、古文書を見てくれないかという連絡が来ました。望星高校は、通信制の高校で、KinKi Kidsの堂本光一さんや、俳優のえなりかずきさん、榮倉奈々さんなどが卒業した学校として知られています。

で、そこの卒業生の保護者で小原さんとおっしゃる方が、実家の岩浅家に伝わる古文書がどんものか確認したいとのことでした。事前に写真を見ていましたので、だいたいのことはわかっていました。当日も写真を撮らせていただきました。一部、公表してもかまわないという許可をいただきましたので、ちょっと写し方が雑ですが、下記にその写真版を載せておきます。

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「先祖書」と題されたこの小文書は、幕臣が自分の先祖から自分までの事跡をまとめてあげて幕府に提出した書類の控でした。幕府や諸藩は、よくこのような書類を提出させては、家臣の家柄や業績などを確認します。私の研究対象である小田原藩では、「先祖並親類書(せんぞならびにしんるいがき」という書類を提出させています。

で、ここには「四川」の普請方を勤めたと書いてありますから、御家人のうちの史料であることは間違いありません。「四川」といっても中華料理じゃありません(当たり前か…)。この場合の「四川」とは、江戸川、鬼怒川、小貝川、下利根川の4つの川のことで、享保10年(1725)に四川奉行が設置され、普請役を率いて、これらの川の治水や用水に関する土木事業に従事したわけです。総称して「四川方」などとも称しますが、享保13年には、四川だけではなく、関東の河川の土木事業に従事するようになります。

岩佐家では、3代目の岩浅郡内が、8代将軍徳川吉宗(有徳院)の代、享保14年(1729)3月に大川通り御普請役に任命されて、俸禄米45俵を下されたとあります。大川通りは、この場合、利根川を指すと考えられます。また、9代家重の代、延享3年(1746)5月6日に関東筋四川定掛御普請役に任じられています。代々普請役を勤めていたようですが、江戸時代の後半になって、しきりに異国船が日本近海に現われるようになると、見分のために出張に行ったりもしているようです。

御家人の史料というのは、なかなか残りづらいので、少しじっくり読んでみようかなと思っています。

他に史料が残っていないというのは残念ですが、史料との出会いというのは、本当に味なものです。

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