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北條秀司関係資料
資料の整理状況

資料との出会い

北條秀司関係資料とのそもそもの出会いは、ちょうど西暦2000年にさかのぼる。それは小田原市立図書館の山口博氏より受けた一本の電話から始まった。1999年度まで小田原市史の嘱託として働いていた私は、小田原北條氏の研究者でもある山口氏とは旧知の仲である。山口氏からの電話によれば、何でも2002年に小田原にゆかりのある「北條秀司」という劇作家が、生誕100年を迎えるという。ついては、記念の碑を建てて、小田原文学館で展示会を開催したいから、学生でもいいから、誰か蔵書の整理をしてくれる人はいないかということであった。恥ずかしい話ながら、私は北條秀司という人物を知らなかった。「王将」の作者と聞いて納得した程度だったのである。私の専門は近世史、江戸時代史であったが、1999年から東海大学の資料室(現・学園史資料センター)に勤務していて、新たに近現代の資料と格闘していかなけばいならない立場にあった。これも何かの縁だと感じつつも、ともあれ、早急に対応していかなければならない。そこで、当時東海大学の大学院修士2年だった加瀬大氏、神谷大介氏、目七哲史氏に研修員の千田聡氏、そして学部3年生の薄井尚氏、三森修氏、山本光衛氏に蔵書の整理を頼むことにした。それからの整理作業は彼らを中心に、小田原市立図書館の森徳行氏と山口氏、集中的な整理の際には、私の友人で横浜市歴史博物館の学芸員である井上攻氏と奥様の寿美恵氏、さらには私の妻美穂に結穂、史花の二人の娘とまさに一家総出の臨戦態勢である。

2000年の北條邸の書庫

2000年の北條邸の書庫

鎌倉は大船の自宅に最初に調査に入ったのは、8月5日のことであった。竹林に囲まれたりっぱな門構えに、木造平屋の簡素で趣のある母屋、四季の草花が咲きそろう広い庭とたくさんの猫たちが私たちを迎えてくれた。それにしても驚いたのは、屋内の書庫にところせましと並ぶ書籍の膨大な量と、書斎や寝室などあちらこちらにある、これまた膨大な資料の数々である。他にも北條の著作物を置くために家を借りているという。さらに、これは後に確認することになるのだが、書斎の整理棚以外に寝室の天袋には、これまたたくさんの著名人たちの書画類が残されていた。

はじめて北條邸を訪れた時

はじめて北條邸を訪れた時
(真ん中が北條美智留氏)

今一つ、私たちを迎えてくれたのは、北條の一人娘である美智留氏である。美智留氏はこの素敵な屋敷と山のような書籍に資料群をずっと守ってこられたのであった。美智留氏もかつて女優や声優、そして北條のアシスタントを務められていて、当時の演劇界についても生き字引のような方であり、非常に魅力あふれるご婦人であった。ともあれ、これが私たちと美智留さん、愛着を込めてここではそう呼ばせていただくが、今に続く美智留さんと北條秀司関係資料との出会いだったのである。

ここから北條秀司関係資料の本格的な調査および整理作業が始まるのである。

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