北條秀司関係資料
北條秀司略年譜
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年齢 | 年 | 月日 | 事項 |
---|---|---|---|
0歳 | 明治35年 (1902) |
11月7日 | 大阪市西区西長堀に、父飯野市松、母ひさの次男として生まれる。本名は飯野秀二。北條秀司という筆名は、劇作の師、岡本綺堂に名付けてもらったもので、当時北條が戦国時代の小田原北条氏の城下町に住んでいたことに因んだもの。「北條、司(まつりごと)に秀(ひい)ず」という意味である。 |
7歳 | 明治42年 (1909) |
4月 | 堀江小学校に入学。 |
15歳 | 大正6年 (1917) |
4月 | 大阪市立甲種商業学校(現在の天王寺商業高校)に入学。 |
17歳 | 大正8年 (1919) |
室町銀之助の筆名で宝塚少女歌劇の第5回脚本公募に応募し、1等に入選する。そして翌年7月、宝塚公会堂劇場で入選脚本が「コロンブスの遠征」として脚光を浴びる。 | |
18歳 | 大正9年 (1920) |
4月 | 創立直後の日本電力会社大阪本社に入社。 |
22歳 | 大正13年 (1924) |
4月 | 関西大学専門部文学科(夜間)に入学する(昭和2年卒業)。 |
24歳 | 大正15年 (1926) |
11月 | 日本電力東京建設所への転任を自ら希望し上京する。 |
26歳 | 昭和3年 (1928) |
5月 | 日本電力が関東進出を目的に、箱根登山鉄道会社を創立したため、その新会社へ事務責任者として出向する。それに伴い、神奈川県小田原町に居を定める。以後、約10年間箱根の発展に献身する。 |
27歳 | 昭和4年 (1929) |
1月4日 | 武田美和子を大阪より迎え結婚。 |
28歳 | 昭和5年 (1930) |
2月9日 | 長女美智留が誕生。 |
31歳 | 昭和8年 (1933) |
4月 | 劇作家岡本綺堂門下となる |
35歳 | 昭和12年 (1937) |
1月 | 処女作「表彰式前後」(新国劇、島田正吾・辰巳柳太郎主演)が新橋演舞場で脚光を浴び、新国劇との縁が生まれる。 |
11月 | 「華やかな夜景」が東京明治座で初演される。新派俳優の井上正夫との初仕事。 | ||
36歳 | 昭和13年 (1938) |
10月 | ラジオドラマ「秋の夜」を初執筆。NHKより放送される。以降、ラジオドラマを多数創作。 |
11月 | 海軍省より従軍作家として中国大陸の南方戦線へ派遣される。 | ||
37歳 | 昭和14年 (1939) |
3月 | 恩師岡本綺堂の死を契機に、箱根登山鉄道会社を退社し、劇作専業となる。 |
4月1日 | 東京市麻布笄町(現在の東京都港区西麻布4丁目)に転居。 | ||
38歳 | 昭和15年 (1940) |
5月 | 劇作家長谷川伸を2度目の師と仰ぎ、同人主宰の戯曲研究会「二十六日会」に入会する。 |
39歳 | 昭和16年 (1941) |
2月 | 「北国日和」が東京明治座で上演される。新派俳優の花柳章太郎との初仕事。 |
処女戯曲集『閣下』(双雅房、昭和15年)が、第4回新潮社文芸賞(第2部・大衆文芸賞)を受賞。 | |||
41歳 | 昭和18年 (1943) |
4月 | 「山がら物語」(新国劇、島田正吾・辰巳柳太郎主演)で初めて演出を手掛ける。 |
42歳 | 昭和19年 (1944) |
4月 | 日本文学報国会総務部長に就任。 |
43歳 | 昭和20 (1945) |
4月 | 神奈川県箱根町強羅に疎開する。 |
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