江戸時代の地域ネットワーク論 その2

歴史コラム
江戸時代の地域ネットワーク論 その2

昨日は、下記の様な図を載せました。もう少しだけ詳しく説明しておきますと、片岡村は現在の平塚市にあって、相模平野のど真ん中に位置します。ここの大沢家の当主市左衛門は、ここで主に地主経営を行なっているのですが、この次男の小才太が本家を継ぎ、三男の七兵衛は真田村の上野家へ、四男の半次郎は同じく真田村の陶山家へ養子に入ります。いずれも片岡村の近隣です。また、五男の九蔵は、箱根塔之沢の福住家に養子に行きます。福住は今でも塔之沢の老舗旅館である福住楼のことで、九蔵は、誰あろう、二宮金次郎の高弟福住正兄(まさえ)なのですね。この大沢一族は、報徳結社のひとつである克譲社(こつじょうしゃ)を結成します。

伊勢原村の加藤家は代々宗兵衛を名乗っていて、この宗兵衛は四代目です。加藤家は質屋(貸金業)に米穀商・干鰯商、そして茶商を営んでいます。現在も「茶加藤」といえば、神奈川では老舗の茶商です。この宗兵衛の次女が片岡村大沢小才太の、また三女が真田村上野七兵衛に嫁入りしています。長女は真田村の太郎兵衛家に嫁に行っていて、結局、すべて相模平野の村に嫁入りしているのです。

そしてこの伊勢原村は、江戸時代に入って、元和年間(1615~24)に新しく開かれた村でした。その前は、下糟屋村という、ちょうど本学の医学部と医学部付属病院のあるところが大山道の宿的な役割を果たしていたのですが、ここが手狭になったことから新たに開村されたのが伊勢原村でした。伊勢の商人たちが開いたことから伊勢原村の名前がついたと言われています。そもそもが原野を開いていますから、伊勢原村は田んぼが少なく畑勝ちの村です。また、家々が街道に沿って並んでおり、ちょうど宿場のような家並みになっています。大山参詣の門前ならぬ麓門前を形成しているといっても過言ではないかも知れません。

この宗兵衛の奥方は、大磯宿の川崎屋川崎孫右衛門の妹で、だから二人は義兄弟になります。大磯宿では北下町と南下町が海に面していて、漁業が主体となっている町なのですが、孫左衛門は、ここで米穀商に酒造業に廻船業を営んでいます。結構、ここらへんでは名だたる廻船問屋だったみたいで、当時の見立番付なんかにも登場します。なお、大磯の浜は遠浅ですから、廻船は沖合いに停めてあって、小型の船で荷物を運んだそうです。そしてこの孫右衛門、天保7年(1836)の大磯宿打ちこわしの際には、打ちこわし勢の1番の標的になっていました。それが孫右衛門が報徳仕法に取り組む今朝となっています。

この川崎孫右衛門の嫁が、東浦賀の干鰯商宮原屋与右衛門の娘でした。全員が「宮井」姓を名乗る宮原屋一族は、紀州からの東浦賀に移住してきた一族でした。

この連中が、報徳仕法の仲間となっています。もっとも、報徳仕法に取り組む前は、石田梅岩による石門心学仲間だったそうで、石門心学から報徳仕法への流れは興味深いですね。さらに興味深いのは、この報徳仕法仲間は、現在でも続いているそうです。もちろん、川崎家のように断絶した家もあるそうですが、それにしても初めて聞いたときはびっくりしたね。

そして、下の図は、報徳仕法の資金の流れを元に作成したものです。これまであげた片岡村-真田村-伊勢原村-大磯宿-東浦賀のネットワークは、そのまま小田原藩領の報徳仕法に繋がっており、それは下野国桜町の仕法はもちろん、伊豆韮山の江川代官所とその配下の豪農である多田村の多田弥次右衛門の仕法とも繋がっています。報徳仕法、もっといえば報徳金と呼ばれるものの流通の広がりを見ることができるでしょう。

資金の流れについて、詳しいことは省略しますが、この図式で見ると、相模平野で米穀生産を中心とした地主経営を行なう大沢一族に対して、加藤宗兵衛は米穀商としての色合いが強く、また、孫右衛門は米穀商の一方で、廻船業でこうした米穀の移出に携わっています。同時に宮原屋一族は干鰯商で、干鰯は地味の劣る相模の農村には広く普及していましたから、この移入にも関わっていたことでしょう。こうやって見ると、いわゆる「豪農」と呼ばれる存在が持っていた性格、つまり生産者としての側面、商人としての側面、金融業としての側面は、ここにあげたそれぞれの地主や商人たちで共有していたとも考えられます。だからこれを相模中央部における在郷商人たちのネットワークであり、全体としての「豪農」の役割を分担したエコシステムと考えてみたわけです。

さて、今回の論文は、この同じ地域における文化活動について検討していきますが、結論からいえば、このネットワークにはほとんど関わってはいません。それがまた逆に、経済・経営的にもこれらの在郷商人たちとは違う在郷商人の存在を浮き彫りにするのでした。

ということで、続きます。次はもう少しまとまってからになりますが…(^^)

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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