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江戸時代における地域ネットワーク論 その3

とりあえず、江戸時代後期の相模国中央部における文化ネットワークに関する論文は書き上げました。まだ、ちゃんと採用されるか分かりません。今回の論文は、代々村役人を務めていた家柄の一農民がどのような文化活動に関わっていたかという問題について論じたものです。

つらつら書きながら、ネットワーク論というけれど、結局のところ何がいままでと違うんだろうなと考えていました。例えば情報網や流通網という言葉もネットワークの話ですよね。ことさらに「ネットワーク」という言葉が使われるようになったのは、一つには「地域史」研究が進んだことによるのでしょう。「地方史」研究が「地域史」研究へとシフトしていったのは、1980年代の後半だったでしょう。当時、常任委員を務めていた関東近世史研究会では、農村以外の山村、漁村、そして江戸をはじめとした都市と、さまざまに議論したものでした。そこから中央の学会でも「地域史」がメインのテーマとして取り上げられるようになったといえるでしょう。そこで意識していたのは、幕府や藩あるいは近世「国家」による上からの「地域」編成に対して、人々の生活と生産を基盤としたつながりになかで検出された「地域」の実態との対比だったように思っています。

その頃からのことでしょう。ある特定の事象、例えば先に挙げた流通や情報といったものから地域をみるといった方法ではなくて、そもそも地域は重層的で複合的なものなのだから、それをどうにか表現できないかと思ったのは。それを例えば治水や水利の関係で見たいと思ったのが、茨城の牛久沼と利根川、小貝川をめぐる問題でした。

そんなんで、文化をめぐる問題でも例えば俳諧とか、国学などの学問といった個別の事象の広がりではなくて、一人の人間の活動全般から見ていったらどうなるのかということにずっと興味を持っていました。だから、少なくともここでのネットワーク論の試みは、そうした地域史研究の展開の中から出てきたものであることを意識せざるを得ません。が、正直なところ、まだうまく説明できないのですね(^^;)

とりあえず、こちらが今回対象とした「地域」です。今の神奈川県の中心、相模国の中央部になります。

主人公は、相模国高座郡萩園村(現・神奈川県茅ヶ崎市)の和田徳太郎という人物です。

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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