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『幕末風聞集』① 久里浜村ペリー一行応接場の図

せっかく『幕末風聞集 増補改訂版』を刊行しましたので、この紹介のためにYouTubeデビューをしようかと思ったのですが、考えてみたら今一つビデオ編集の仕方がわからない(^^;)サイバーリンクのビデオ編集ソフトを購入したのはいいのですが、まだあまり触っておりません。

そこで、このサイトで少しずつ紹介しようかなと思っています。こちらは『幕末風聞集』を背表紙側から撮ったものです。

さて、第1回目の本日は、やはり第一番からはじめてみましょうか?『幕末風聞集』は5冊からなっておりますが、それぞれ第一番~第五番という番号がついております。今回はその第一番目からピックアップしたいと思います。

『幕末風聞集』は、ペリー来航を契機として書き始められていると書きましたが、そうした記録は結構、多いんですよね。『幕末風聞集』は、オランダ国王の開国勧告から始まっています。ここに収録されている史料の多くは、東京大学史料編纂所が翻刻されている『幕末外国関係文書』に収録されているのではないかと思っています。確認はしておりませんm(_ _)m

ここでは27ページに収録されている「久里浜応接場の図」を紹介しましょう。次の図がそれです。

『幕末風聞集』もモノクロですから仕方がないのですが、実はこの図は結構きれいなカラーで割と丁寧に描かれています。『幕末風聞集』では図を載せただけで、文字は翻刻しないでそのままにしておりました。せっかくですので入れてみました。

その前にこの当時の江戸湾の海防体制について触れておきましょう。天保に改革を推進した水野忠邦が失脚したのが天保14年(1843)閏9月13日。その2日前に老中となったのが備後福山藩10万石の阿部伊勢守正弘でした。水野は天保改革の一環として、文政3年(1820)から行なわれていた相州-三浦半島側の海防を相模小田原藩大久保家11万3000石と武蔵川越藩松平家(越前)15万石(のち17万石)が、房総半島側を下総佐倉藩堀田家11万石と上総久留里藩黒田家3万石が担当するという、相州側は浦賀奉行所、房総側は幕府断簡所に対する親藩・譜代藩の援兵体制から、天保13年(1842)に相州側は川越藩、房総側は武蔵忍藩松平家(奥平)10万石が、それぞれ単独で警備させることにします。

天保14年に失脚した水野でしたが、翌天保15年(1844年)5月10日に起こった江戸城本丸の焼失事件に外国問題の紛糾などが重なったことから、同年6月21日に老中首座として復帰します。ところが翌弘化2年(1845)2月22日にはまた老中を辞職します。その後、同年閏9月11日に阿部が25歳という若さで老中首座となります。この間、弘化2年7月5日には海防掛が設置され、さらに同4年(1847)2月15日に、相州側を近江彦根藩井伊家30万石と川越藩、房総側を陸奥会津藩松平家23万石と忍藩が警備を担うという、家門クラスの親藩と譜代大藩が担う体制、いわゆる「四藩(しはん)体制」となったのでした。ペリーが来航した嘉永6年(1853)は江戸湾防衛が、こうした四藩体制にあった時でした。

そこで図を見てみましょう。ここには千駄ケ崎と住吉出崎という地名が出てきますが千駄サキ」(千駄ケ崎)には彦根藩の手によって弘化2年頃に台場が築かれていました。また、住吉出崎は、現在の住吉神社があるあたりで、この間がいわゆる久里浜村になります。ここを主に守っていたのが彦根藩でした。

図によれば千駄サキには「彦根カタメ」つまり彦根藩井伊家が海上警備をあたっています。さらに彦根藩はおよそ2000人の兵を出し、井伊家の船蔵は休足(息)所に指定されています。その他はとみると、川越藩(松平大和守)が800人余の兵を、また、忍藩(松平下総守)が「舟固」として「住吉出崎」の海に船50艘ほどで、やはり海上警備にあたっています。

幕府側はというと、「戸田加勢槍三十人:というのは浦賀奉行戸田伊豆守氏栄に対する応援部隊ですね、この他に浦賀奉行の与力(人数不明)と同心48人が詰めていて、小筒(鉄砲方)として30人ずつ、そして「与力曽根」には大筒が描かれています。この曽根は、西洋炮術家で幕臣の「下曽根信敦」のことであろう。実際、下曽根はペリー応接に立ち会っていた。

ペリー久里浜応接場の警備の主体は彦根藩であり、この時の藩主は井伊直弼であった。また、川越藩主は松平典則、忍藩主は松平忠国である。また、当時の会津藩主は松平容保であったが、この図には出て来ない。恐らく房総半島の警備を任されていたものと考えられる。

まぁ~ほとんどは知られたことではあるでしょうが、こうして図にしてみるとまた面白いですね。『幕末風聞集 増補改訂版』!重ねてよろしくお願い申し上げますm(_ _)m

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
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