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『幕末風聞集』③ ペリーの口上書

それにしても暑い日々が続きますね。一昨日にはついに東京オリンピックも始まりました。かと思えば、台風8号が東日本から東北にかけて上陸の恐れがあるそうです。最悪の場合は直撃ですね。

さて、今回も『幕末風聞集 増補改訂版』から一つ史料を紹介しましょう。33ページに掲載されているペリーの口上書です。

    合衆国水師提督彼理(ペルリ)口上書
○合衆国海軍総督某(それがし)盟約を結ん為に全権行事の特命ヲ承ク、此海に来る、今帝国日本の貴官中の一員と会合して受嘱の欽差書牘(きんさしょとく)及ひ通信書牘を捧んと欲す。此二牘書(とくしょ)は即ち合衆国の伯理璽天徳より日本国帝殿下に呈する処なり、右之会合近一日を択ひて是を約定せん事を願ふ。合衆国蒸気フレカツト舶シユスケハンナ〈船号〉千八百五十三年第七月十二日〈我嘉永六年六月七日〉浦賀港ニ於て書す。

「彼狸」と書いて「ペルリ」と読ませています。これは西暦1853年第7月12日、日本の太陽太陰暦の元号によれば嘉永六年六月七日に浦賀港で書いたとのことです。

豪州国海軍総督の私は盟約を結ぶために全権行事の特命を受けてこの海に来たのだ。日本の政府役人と会合して欽差書牘と通信書牘を捧げたいと望んでいるとあります。欽差とは天子の命令で送る書もしくはその使者のことで、書牘は書簡、手紙のことです。具体的に言えば、当時のアメリカ合衆国大統領フィルモアの国書ならびに書簡を幕府の要人に渡したいということですね。牘書も文字が逆になっていますが、書簡、手紙のことです。「伯理璽天徳」というのはよくわかりませんが、直接的な読みや意味がわかりませんが、大統領フィルモアをさすことは間違いないでしょう。これを「日本国帝殿下」に呈するとあります。これは将軍を示しているのでしょか?とにかく近日中に1日を選んで約束して欲しいというのです。そしてこの口上書をサスケハナ号で書いたというのです。もちろん、これは日本語訳されたものです。

こちらは「浦賀紀行」に掲載された浦賀湊の図です。東浦賀方面を臨んだもので、向かって右から「鳥ケ崎」「法幢寺」「東林寺」「渡口」(船の渡し場)「専福寺」の名前が見えます。山に沿って家並みが続く様子がよくわかりますね。右下には「燈明堂」や「平根山」の台場も見ることができます。

この沖にサスケハナ号をはじめ4隻の船が姿を現したわけです。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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