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幕末維新の騒乱と東海道Vol.15 官軍の前線基地大磯宿に詰める

中里村(神奈川県二宮町)の名主水島伝左衛門は、このとき、助郷惣代として大磯宿に詰めていた。大磯宿の次が小田原宿であるから、官軍からすれば大磯宿はまさに戊辰箱根戦争の前線基地であった。だからこそ問罪使が派遣されたのである。それだけに、伝左衛門は、この戊辰箱根戦争を周辺の、それも大磯宿のなかからみていた、まさに当事者のひとりであった。伝左衛門は後に、このときに出された触書や廻状、嘆願書、戦場の記録などを書き留め、それに自らの見聞などを加えて「官軍小田原表御出陣用向控」と題する文書にまとめている(『大磯町史』2 近世 No.241)。

官軍の出陣について、人馬の調達にそうとうに苦労したことは、今さら想像するまでもないであろう。このときの助郷の範囲が、神奈川県内では現在の厚木市・愛川町から相模原市津久井にかけての地域と、埼玉県の奥まで広がっていたことは先にみたとおりである。ただ、この間の具体的な人馬の数量については、残念ながらわからない。しかしながら、伝左衛門が大磯宿年寄の壮蔵と、同じ助郷惣代の金目村(神奈川県平塚市)の名主長右衛門と連名で出した嘆願書では、いずれも先触すら来ないままに、昼夜の区別もなく不容易に継ぎ立てなければならず、「御継立高一倍増」にもなっていると訴えている。とくに日々に何挺も命じられる早駕籠には、多くの掛人足を調達しなければならないので難渋しているという。何より、大磯宿は戦地の近宿なので、鉄砲の音が聞こえてきて恐怖した。それでも粉骨を尽して人馬の御賄いをしたのだというのである。

さらに伝左衛門ら助郷惣代には、別に「兵食御賄」が命じられていた。いわゆる兵粮米の調達を命じられたのである。戦争を前提として在陣するわけであるから、それが単なる軍隊の通行とは異なる大きな特徴となっていた。伝左衛門らは、大磯宿へ白米10俵と味噌1樽、山西村(神奈川県二宮町)へも白米8俵と味噌1樽を用意し、そのほか平塚宿や馬入村(神奈川県平塚市)へも兵食を送ったという。山西村には間の宿(あいのしゅく)である梅沢があったから、官軍の一行はここにも陣取っていたのである。また、馬入村や厚木町(神奈川県厚木市)では、渡船場の船留めも行なわれており、まさに臨戦体制であった。

とくにこの兵食御用に対しては、伊豆韮山(静岡県伊豆の国市)の元幕府代官江川太郎左衛門英武の手附富沢正右衛門らから苗字帯刀と割羽織の着用許可の特権を受けている。このとき、苗字帯刀と割羽織着用を許されたのは、伝左衛門のほか、大磯宿年寄岩田慎右衛門・生沢村(神奈川県大磯町)名主二宮太平・河内村名主大館金兵衛(神奈川県平塚市、以下同じ)・南河内村名主森勘六・北金目村名主柳川長右衛門の6名である。江川英武は、このとき、大総督府から「兵食御賄人馬方御用」を命じられており、実質的に大磯宿周辺での人馬の調達と兵食の準備を取り仕切っていた。箱根宿から藤沢宿までの5か宿に対する官軍通行の準備は、本来、小田原藩の役目であったが、先の事件によって、江川氏と武蔵国六浦(むつら)(神奈川県横浜市金沢区)米倉家に命じられたのであった。

こうしたなかにあって、大磯宿は官軍の前線基地の役割をはたしていたのであったから、それだけ負担も大きかった。このとき、助郷惣代を務めていた水島伝左衛門は、多分の賄い費用を急には村々から徴収することができなかったために、持ち合わせの米穀を大磯宿台町の米屋(平井)清右衛門に売り渡し、この代金をもって伝馬出金の賄い金にあてていた。ところが、その後清右衛門が多額の借金による困窮を理由に、売り渡し代金のうち残金の30両を滞納してしまったことから後に訴訟にまで発展している。この決着がついたのは、明治6年(1873)のことで、戊辰箱根戦争の負担はその後にも大きな禍根を残すことになった(『大磯町史』2 近世 No.249)。ともあれ、この箱根戊辰戦争の終結をもって、箱根関所から江戸にいたる「関東」の地、そして相模国は、完全に官軍―新政府の支配下にはいったのである。関東に本格的に御一新がやってきたのであった。

 

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
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