幕末維新の騒乱と東海道Vol.18 明治天皇の東幸

歴史コラム
幕末維新の騒乱と東海道Vol.18 明治天皇の東幸

慶応4年(1868)7月17日、江戸東京と改められ、鎮守府とともに東京府が置かれることになった。こうして関東に平穏が訪れたことを受けて、天皇自身が東京に行幸(ぎょうこう)するという一大行事の計画が具体的な日程にのぼってきた。これを東幸(とうこう)という。かつての幕府、徳川将軍家の本拠に乗り込む。それは新政府による「御一新」を、そして天皇の御代(みよ)を広く喧伝して印象づけるための、もっとも効果的なデモンストレーションであった。逆の目からみれば、それはまた、いっぽうで江戸時代の終わりを告げるフィナーレともいえる。思えば、文久3年(1863)からこのかた、元治・慶応と元号が移り変わるのに歩をあわせるかのように、将軍の一行そして一軍が矢継ぎ早に大挙して西上をくりかえし、とって返してこの慶応4年には天皇の軍隊が東をめざした。そして最後に天皇自身が東下(とうげ)を敢行する。それはたしかに、時代の激変を鮮やかに象徴するできごとであった。

大磯宿に残された御用留―「御東幸御用留」(平塚郷土文庫蔵 鈴木定右衛門家文書)には、その準備から実際の東幸までの過程が詳しく書き留められている。これによれば、まず7月29日に駅逓(えきてい)役所から宿々の問屋・年寄に対して、宿の明細帳に宿内の絵図、往還絵図、定助郷・加助郷から代助郷・当分助郷などに指定された村々の色分け絵図、そして村高を記した帳面などを8月中に調べて提出するようにと命じられた。続いて8月19日には、弁事五辻弾正大弼(いつうじだんじょうだいすけ)と戸田大和守忠至(ただゆき)の一行が、23日から東海道の道筋調査のために下向することが申し渡された。

天皇が関東の地に足を踏み入れることは、日本の歴史上はじめてのことであった。それがどれだけ意識されていたかは定かではないが、いずれにしても道筋の掃除や旅館の整備、宿泊所の宿割などについては、将軍の上洛同様、あるいはそれ以上に周到な準備がはかられた。ただし、通行に関する街道の負担は、駅逓役所の指揮のもと、旧幕府時代のときと同様に、定助郷・加助郷の指定助郷を中心に、当分助郷や増助郷を臨時に増員する形式がとられている。図は、大磯宿に提供された臨時の助郷を整理したものである。天皇の宿泊所に指定された大磯宿では、まず大住郡のうち落幡村(神奈川県秦野市)をはじめとする17か村と、淘綾郡西窪村(同大磯町)が当分助郷に指定された。『旧高旧領取調帳』の村高でみれば、合計は1万761石余になる。地域的にみれば、平塚宿から伊勢原村(同伊勢原市)に向かう伊勢原道と、同じく平塚から曽屋村(同秦野市)方面に向かう波多野道の周辺で、現在の秦野市から平塚市・伊勢原市にいたる地域である。

しかしながら、これではまだ不足するということで、さらに増当分助郷という名目で、愛甲郡恩名村(神奈川県厚木市)等13か村、高座郡相原村(同相模原市)等17か村、大住郡寺山村(同秦野市)等2か村、そして津久井県では青野原村(同相模原市緑区)等3か村が追加された。地域的には厚木村(同厚木市)から先、八王子(東京都八王子市)方面に向かう八王子道と、下鶴間村(同相模原市)から八王子にかけての八王子道、また、同じく厚木村から津久井県方面にかけての津久井道・甲州道そして丹沢道周辺の村々であった。これらを合計すると35か村、1万9,873石余で、当分助郷分とあわせると53か村、3万635石余となる。このときの当分助郷・増当分助郷は、相模国内の、それも中央部の村々に限って指定されたことが特徴であった。大磯宿と平塚宿を起点に考えて、相模国を縦に貫く主要な脇往還からの徴発である。代銭ではなくて、なるべく実際に人馬を出させるということを考慮したものであろう。

そして駅逓役所から出された人馬数の指示は、乗駕籠から長持・両掛など実際の継立てに必要な人足として2,444人、別に加人足として183人が計上されたので、その総計は2,627人であった。これに対して大磯宿と平塚宿は、それぞれ1,500人ずつ人足を差し出して、共同で大磯宿から藤沢宿までの間を継ぎ立てることとしていた。通行当日の最終的な見積りは、人足2,589人に馬が21疋であった。ただし、ほかに増人足が358人あったから、人足の総計は2,947人となった。馬の数が少ないのは、鳳輦(ほうれん)を中心とする天皇の行幸では、馬の使用は最低限にして、なるべく人力による通行が重視されたためであろうか。天皇の通行はとくに通輦(つうれん)と呼ばれた。

 

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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