光秀の重臣・秀満の書状公開 京都・鮎ずしの礼記す 京都新聞

光秀の重臣・秀満の書状公開 京都・鮎ずしの礼記す 京都新聞

明智光秀の重臣で、福知山城の城代だった武将・明智秀満の書状が京都市内で見つかった。領内の土豪に対し、贈答品の礼や由良川での漁業許可を伝える内容で、専門家は、明智家による丹波北部地域の統治の実態を示す貴重な資料とみている。2日から京都府福知山市内記の福知山城(市郷土資料館)で公開される。

↓ 詳しくはこちらで

https://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20180602000067

>この記事で興味を持ったのは、明智秀満の書状の内容が、領内の土豪からの鮎鮨贈答に対する礼を述べているということです。鮎鮨は、米や塩で漬け込む、いわゆる「なれ鮨」で、江戸時代には名古屋藩(尾張藩)から将軍に献上される鮎鮨が有名ですね。小田原藩でも稲葉家が支配していた江戸時代のはじめには、鮎鮨を献上しています。その製法はどうも尾張徳川家から伝わったもののようなのです。では名古屋藩の鮎鮨は?と考えれば、長良川周辺ですでにさかんだったと考えられますが、同時に、京都辺りまで広がっていた、もしくはそちらから伝播したとも考えられます。どちらにせよ、興味深いですね。まったく違った角度からの感想でした。

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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