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【講演会のおしらせ】明治天皇の東幸と大磯宿-記録・記憶・顕彰-

来たる11月17日(土)に大磯町立図書館で「明治天皇の東幸と大磯宿」と題する講演を行ないます。これは本学と大磯町との提携事業の一環です。最近確認したのですが…(^^;)いずれにしても、「東海道の幕末維新」「地域史からみた幕末維新-小野路村組合と木曽村寄場組合-」に続く「地域史からみた幕末維新シリーズ」(と勝手に私は呼んでいます)の最後を飾る講演会です。明治維新150年もこれで終わりですが、別に意識したわけではなく、結果論です。

慶応2年(1866)12月25日に孝明天皇が崩御すると、翌3年1月9日に15歳で睦仁は天皇に即位します。元服前の即位だったのですね。この年、10月14日に慶喜が大政奉還を断行し、12月9日に王政復古が宣言されます。さらに同4年1月3日の鳥羽・伏見の戦いで、いわゆる戊辰戦争の火蓋が切って落とされると、7日に慶喜追討令が発せられ、2月9日に有栖川宮熾仁親王が東征大総督に任命されると、12日に慶喜が上野寛永寺に蟄居、15日に有栖川宮率いる東征軍が京都を出発します。3月6日には江戸城総攻撃が下命されましたが、勝海舟と西郷隆盛の会談(2人だけで会談したわけではないですけれどね)によって江戸城の開城が決定しました。しかしながら、5月15日には上野東叡山に立て籠もった彰義隊が薩長を中心とする官軍と交戦し、房総に逃れていた遊撃隊は請西藩主の林忠崇を中心に駿河湾から沼津-箱根-小田原と転戦して、26日には、官軍が見守る中、箱根山崎で小田原藩兵と遊撃隊が衝突しました。南関東唯一の戊辰箱根戦争です。ま、この間には天皇の大坂行幸、大坂遷都計画などもありますが、こうして関東に訪れたところで、明治天皇の東京行幸、略して東幸が日程に上ってきます。実際には9月20日に京都を発ち、10月13日に東京に到着。しかしながら、12月8日に再び東京を発って22日に京都に戻ると(還幸といいます)、3月7日に再東幸を行ない28日に再び東京に足を踏み入れます。以後、なし崩し的に東京が首都になって行くわけです。

明治天皇の東幸に対して、宿所となった大磯宿ではどんな問題が持ち上がっていたのか、どんなことが起きたのかについて地域史の視点から見ていきたいと思います。さらに、最初の東幸が人々の記憶として残るような顕彰が、いつどんな形で行なわれたかについても言及したいと思っています。ので、副題に「記録・記憶・顕彰」とつけました。

なお、大磯宿が研究の対象となるのは、こんな古文書が残っているからです。

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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