《幕末編_04》御所と蛤御門の変

Let's古文書
《幕末編_04》御所と蛤御門の変

先にお知らせしましたように、今日から大政奉還から150年を記念して京都への旅に出ます。もう150年とも、まだ150年前とも言えそうです。幕末維新については、ものすごく研究が進んでいるかと思えば、意外とわかっていないことも多いようにも思います。坂本龍馬を暗殺したのは誰かといったことはもとより、例えばなぜ、家茂は上洛したのか?孝明天皇や長州藩が促した?攘夷の難しさを説得に?直接の理由ははっきりしません。そこで一緒について行った浪士隊はなぜ戻ったのか?清川八郎が攘夷のために戻した?それを察知した幕府が戻させた?公式的は、生麦事件の後、イギリス船が横浜沖に集結したためで、それも口実であったといった言われていますが、関東の様子を見ていると、幕府がものすごく大きな危機感を持っていたことは間違いありません。

話は飛びますが、蛤御門の変も、長州藩と会津藩、薩摩藩、これに加えても桑名藩との闘いみたいに思われてしまいますが、それでは京都守衛に詰めていた他藩どうしていたのだのでしょう。小田原藩もまた、京都守衛に上洛していて、当日は日の御門に詰めていました。そもそも蛤御門の変の全体像がどうもはっきりしません

と言うことで!《幕末編》の第4回目は、「吉岡由緒書」の中にある御所の御警衛図をお題として出しておきたいと思います。宿題にしておきますね。私は、百聞は一見にしかず。歴史学にとって大事なことは、ありきたりですけれど、やっぱり、自分の足で歩いて、目で見て、聞いて、観察して、そして感じることです。山の高さ、川の深さ、道の方向、町の賑わい、人々の暮らし並み、思い、さまざまなものがそこに息づいています。古文書に書かれた風景をこの目で確かめてみること。そのために、今回は京都御所と二条城を中心に廻ろうと思っています。後は、なりゆききですね。行ってきます!

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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