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朝鮮通信使:寛延使節への「馳走」と相模の村々

Web CreatorのMr.meshichiに、講演や研究発表のレジュメや授業のテキストなんかを公開するようにできないかと相談したら、項目を一つ増やしたらどうでしょうと提案を受けました。「馬場研究室へようこそ」の中にタブを増やしたらどうかと思っていたのですが、このコーナー自体が1枚のページになっているので、私が気楽にUpするようにするのは難しいとのことでした。で、項目を一つ増やすという提案を受けたのでした。考えてみたら、その方がわかりやすいですよね。

そうしたらもう早速、作ってくれました。びっくりです。ありがとうございました。

何もないのは寂しいので、今年の3月19日(日)に藤沢商工会館ミナパークで開催された湘南日韓親善協会創立40周年記念講演会で講演した際のレジュメをUpすることにしました。

改めて「朝鮮通信使」とは、朝鮮国王の国書や進物を携えて日本に派遣された外交使節団のことで、通信使・朝鮮信使・朝鮮来聘使とも呼ばれています。通信使の来訪は室町時代に溯るのですが、とくに豊臣秀吉の朝鮮出兵後、徳川幕府が成立すると、一転して両国は友好関係の構築に努めました。慶長12年(1607)から寛永元年(1624)は、徳川将軍への講和・修好に関する回答と、朝鮮人捕虜の刷還・国情探索を目的とする回答兼刷還使として来日します。寛永13年(1637)からは「通信使」に名称を戻し、明暦元年(1655)以降は、将軍の襲封を祝賀するための使節団となります。江戸時代には、合計12回来訪していますが、大半は江戸時代の前半に集中しており、文化8年(1811)の対馬での易地聘礼が最後となりました。一行の人数はだいた500名前後で、沿道の地域では、通行と接待のためにさまざまな準備が必要でしたた。そのため通信使の来訪は、外交だけでなく、文化交流にも多大な足跡を残しています。

PDFファイル=朝鮮通信使:寛延使節への「馳走」と相模の村々

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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