昨日は予定通り、箱根町立郷土資料館の特別展「戊辰箱根戦争 ~小田原藩×遊撃隊~」を見てきました。最終日、滑り込みセーフです。あ、その前に早雲寺へ行って、遊撃隊の墓にお詣りしてきました。早雲寺は、大永元年(1521)に、北条早雲の遺言によって、2代目の氏綱が建立したと伝わっています。来年は早雲の没後500年にあたるのですが、早雲寺は再来年に建立500年をむかえるのですね。現在は本堂への参拝もできませんし、御朱印もいただけません。ただ、お墓を見ることはできまして、北条5代の墓があることは有名です。そのほかにも連歌師の宗祇や徳川の奥医師曲直瀬氏の墓などがありますが、遊撃隊の墓があったことは実は最近まで知りませんでした。だから、この写真を撮ることも箱根に来た目的のひとつでした。
一番最後の写真は、福住正兄の墓です。福住家のお墓もこちらにあったのですね。
それから一路(というほど遠くはないですが…)郷土資料館へ。
展示は、Twitterとかでも紹介されているとおり、古文書と古写真が中心です。当日は、鈴木館長と学芸員の高橋さんにいろいろとお話を聞くことができました。今回の展示会に向けて、お二人が研究室まで相談に見えられたのが6月19日のことでした(http://www.ihmlab.net/tweet/tweetblog/9308/)。今回も話題はまず、戊辰箱根戦争のうち、最大の闘いであった山崎の戦いで、遊撃隊が陣を構えた場所はどこであったかということでした。以前にも書きましたが、江戸時代は、湯本村三枚橋の手前の山崎は舌状台地になっていたそうです。そもそも街道自体が今の国道1号線より山側にあって、明治のはじめに馬車を走らせるために切通ができ、さらに国道の開通や新道の開通で、随分と地形も変わってしまったようです。ちょうど国道1号線と箱根新道が交差する付近の山側の方かなというお話しでした。それから小田原の方面の前線にあたるのが、風祭村の入口にある御塔坂であろうとのことでした。ちょうど箱根駅伝の中継地点として有名な蒲鉾の鈴廣の先辺りですね。郷土資料館では、明治の頃の切通の写真とともに、ちょうどこの御塔坂から風祭村の家並みと山崎の台地を見通した古写真が展示してあって、ようやく全体的なイメージを掴むことができました。
また、興味深いのは、やはり遊撃隊と小田原藩兵・官軍との戦いに関する当時の記録でした。遊撃隊が福住九蔵(正兄)のところに泊っていたとの記録はたいへん興味深く、伊庭八郎や人見勝太郎も私と同じく福住旅館に泊っていた可能性があったのですね。さらに、早雲寺の石碑が13回忌を記念して、福住正兄らの尽力で建てられたという事実も興味深かったです。少なくとも箱根の人たちは遊撃隊に対して悪い感情はもっていなかったようで、むしろ火をかけた官軍の方が評判がよくなかったと思われます。それにしても明治維新期の顕彰というのは、後にだんだんとさかんになっていきますが、13回忌というはなかなか早いですね。こちらの方もさらに興味をそそられました。
最後ということで、展示室の遠景と発掘された砲弾の写真を撮らせていただきました(^^)
そうそう、ただいま展示会関係の図録を作成しているとのことです。戊辰箱根戦争に関する展示会は初めてでしたから、ぜひ期待したいですね!
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