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相模国小田原藩における大災害からの復興と改革・仕法-吉岡家の俸禄米をめぐって-

『文明』の初校ゲラが上がってきました。ようやく、町田市立自由民権資料館の講演録の校正を終えたところで…と言いたいところですが、そもそも講演録の校正が遅れてしまってかぶってしまっただけなのですが(^^;)

2014年度に「震災復興と文明」という研究プロジェクトに参加させていただいてから、元禄16年(1703)の小田原大地震と宝永4年(1707)の富士山噴火についての研究を本格的に始めて以来、「元禄大地震と宝永富士山噴火 その1-相模国小田原藩の年貢データから-」(『文明』No.19 2014年)「元禄大地震と宝永富士山噴火 その2-相模国小田原藩領村々の年貢割付状分析から-」(『文明』No.21 2006年)に続く3部作の完成です(タイトルをクリックするとPDFファイルが開きます。そこからダウンロードできます)。と、勝手に3部作にしているだけですが…。その1では、小田原藩領全体の年貢データから、その2では、藩領村々を米作地帯、畑作地帯、中間地帯の3つに分けて、それぞれに属する村々の年貢割付状をデータ分析することを通じて、この2つの大災害からの復旧過程についてみてきました。今回は、藩士の俸禄米の支給状況から同じように復旧過程を分析しつつ、藩政の展開についてけんとうしたものです。「藩政の見取り図」と呼んでいますが、藩士の俸禄は、藩財政の中でももっとも大きい部分を占めるために、改革はもとより、その時々の藩政の動向を色濃く映していきます。それを明治の初めまでみていこうというものです。だから、前半は大災害からの復旧過程に焦点が当りますが、文政・天保の藩政改革以降、とくに幕末期には幕府軍役や騒乱にともなう費用が大きくなっていきます。その意味では前半部と後半部ではタイトルと多少異なってしまいますが、まぁ~いいっかなぁ。

新稿と言っても、実は小田原市史の過程で、1990年代の後半には元になるデータは完成していたのですが、ここでようやく発表しています。研究誌としての『文明』はA4判でしかもカラーです。基本はPDFファイルで文明研究所のHPにアップします。ただ、少部数ですが印刷もしていて、これもカラーで印刷されています。データー処理を中心にすることで、長期的な傾向を分析していきますから、どうしてもグラフが多くなります。折れ線グラフにしても積上げ棒グラフにしても、やはりカラーにした方が見やすい。表も色分けができますから、これまた私の意志を反映させやすいということで、あえて『文明』に投稿しました。普通の研究雑誌ではなかなか扱ってくれない題材ですし、そもそも表やグラフが表示しづらいですからね。

ゲラはこんな感じです。とくに2枚目の写真には表とグラフを掲載していますから、分かっていただけるかなと思います。また、正式にHPにアップされたならばお知らせします。

それからこの論文は、「吉岡由緒書」翻刻についてのクラウドファンディングでリターンの一つとしてお約束していたものです。元データがあるとは言え、史料の見直し自体は必要ですから、今になってしまいました。これでようやくクリアーです。とはいえ、まだ刊行されたわけではありません。今日から「史料管理学演習」も始まりましたので、頑張って急いで校正をしようと思っています。

 

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投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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