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緒形拳 テレビ時代の幕開け

なんとなくYouTubeを立ち上げたら、「峠の群像」の総集編第3部があって、そのまま観てしまいました。「峠の群像」は、堺屋太一原作のNHK大河ドラマで、赤穂事件、いわゆる忠臣蔵のお話です。1982(昭和57)年の作品でしたね。緒形拳さんは主役の大石内蔵助を演じていて、1965(昭和40)年の「太閤記」以来、2回目の主演でした。

それにしても緒形さん、ここではほとんど無表情で、目だけで演じていたのですね。その目の輝きがなんとも言えず凄いです。「峠の群像」では、伊丹十三さんの吉良上野介ばかりを鮮明に覚えていて、大石が緒形さんだったということを実はほとんど覚えていなかった不覚…。炭小屋で震えている伊丹上野介、切られた後の表情…。調べてみたら、伊丹さんが吉良を演じていられるのはこれだけですから、やっぱり相当強烈だったのですね。

また、それにしても…ですが、この「峠の群像」は、当時を元禄時代になぞらえて、これから峠から下り坂に向かう…と締められているのですが、この後にかのバブルの時代が来るなんて誰が想像したでしょうか?

さて、昨日の続きで、「軌跡 名優緒形拳とその時代」の第2コーナーの紹介です。

Ⅱ.テレビの時代へ-時代の寵児-

 1965(昭和40)年、緒形は、NHK大河ドラマ「太閤記」の主役豊臣秀吉役に抜擢されます。大河ドラマ自体が2年前に始まったばかりで、そこにフレッシュな人材として、新国劇で注目を浴びていたとはいえ、全国的にはまだ無名であった緒形を主役に大抜擢したのでした。秀吉を好演し、大人気を博したことで緒形は、一気にスターダムにのし上がっていきます。翌年の大河ドラマ「義経」では、弁慶役として連続出演を果たしました。緒形が新国劇に入団した頃から、時代はテレビという新たなメディアを求め、さらに大きくシフトチェンジしようとしていた時期でした。その新たな動きの中で、まさに時代の寵児となったのです。
 以後、緒形は1982(昭和57)年に「峠の群像」の大石内蔵助役で再び主役を務めたことを含めて、大河ドラマに9度出演しています。また、NHKでは、現代劇を含めて多くのドラマで主役を務めました。2008(平成20)年、最後に主役を務めたのが、NHK広島放送局開局80周年ドラマの「帽子」であったというのも一つの縁でしょうか。
 民放では、1971(昭和46)年に放映された朝日放送の「必殺仕掛人」で藤枝梅安役を演じたことが大きな転機となりました。池波正太郎原作の「必殺仕掛人」は、その後映画化もされます。そこから緒形は、時代劇はもちろんのこと、現代劇でも名無しの探偵シリーズやおみやさんシリーズなどのサスペンスものから、1990年代のトレンディドラマなど、その時代に応じたさまざまなドラマに出演し続けました。その生涯におけるドラマへの出演数は、実に200本以上に上ります。
 このコーナーでは、第1面をNHK大河ドラマのコーナーとし、第2面では、民放を中心としたドラマを紹介しています。

緒形のスクラップブック

テレビは、1959(昭和34)年の皇太子明仁親王と正田美智子さんのご成婚を契機に普及したと言われますが、私の福岡の実家のような田舎では、どちらかというと、1964(昭和39)の東京オリンピックが契機になります。実家もそうでしたから。5歳だった私は誕生日までにひらがなを書けるようになればテレビを買ってやるという親父の言葉に乗せられて、とにかく頑張りました。誕生日の前日、9月1日に無事、テレビが納入されました。私は出たり入ったりしながらテレビの納入を待っていたそうです。「太閤記」はその翌年のことで、まさに私にとってもテレビの時代の幕開けだったのです。たぶん、この頃の大河ドラマはそうした記憶とともにあるのだと思います。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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