美男におわす…鎌倉大仏の横顔

今日のつぶやき
美男におわす…鎌倉大仏の横顔

かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな

有名な与謝野晶子の和歌ですね。鎌倉の大仏様は「釈迦牟尼」ではなくて「阿弥陀如来」だというのも有名な話ですが、「阿弥陀如来は」だと7句になってしまいますからね、5句にしたくて「釈迦牟尼」なのか?

私も鎌倉大仏のお顔は大好きで、高徳院に行ったときにはいつも見惚れています。

鎌倉の大仏がいつから野ざらしか…?15世紀後半の明応地震の津波で大仏殿が流されてから、いや、実はそれ以前からか?というtwitterの呟きに反応して、ご尊顔のアップをTweetしましたところ、意外に反響が大きかったので、改めてここで紹介しますね。

それは2016年の春のこと、鎌倉大仏の修復と掃除が大々的に行なわれたことがありましたよね。その頃ちょうど鎌倉市の文化財専門委員をやっていましたので、その工事現場を見学することが出来ました。大仏を間近で直に見られるなど、そうそうはありません。私にとっても貴重な体験でしたから、当時、ブログでも紹介したのですが、改めてここで紹介いたします。

まずはお顔を右頬方面から撮ったものと左右の頬です。

工事の足場から撮ると、これで精一杯です。当時、iPhone12Proの望遠機能があったらもっと引いた写真が撮れたのになぁ~とは思います。

次は部分的に見ていきましょう。

こちらは右頬です。ご存じの方も多いかと思いますが、右頬には金箔の跡がくっきりと残っています。大仏の右側にたてば下からでも見ることができますよね。間近で見るとこんな感じです。

ただ、お顔以外には金箔を貼った後が見られないようで、実はお顔だけだったのではないか…とも言われています。

次は口元と眼です。

口元はこれまたキリッとしていて素敵です。眼にはちゃんと目の玉が描かれています。この切れ長の目がまた素敵です。どうもボキャブラリーが貧困ですね(^^;)

 

こちらは額にある突起物…いわゆる「白毫」です。かなり渦を巻いております。

そしてこちらが頭上の「螺髪」です。下の方はちゃんとカタツムリのように渦巻になっていますが、頭頂部は意外に雑です。委員の先生からは「どうせ長城なんか見えないから手を抜いたんじゃないの?」という意見もありました。確かに明確な理由は分かりませんから、それもありうるかも知れません。

とにかく鎌倉の大仏は謎の多い建立物です。鎌倉時代といってもそのいつに、誰が、どのような目的で作ったのかわかっていません。ここは奈良の大仏様と大きな違いですね。

そもそも現在は高徳院となっていますが、このお寺も江戸時代に建てられたお寺で、それ以前はどうも近くにある長谷寺が「管理」していたようです。そもそもこうした大仏は、お寺に入ってずーっと行って、奥の方に鎮座しているものなのですが、高徳院に行くと、いきなり大仏様が現れます。初めて連れて行った友人が、中に入って「えっ、こんなに近くにあるの?」と驚いていました。

ともあれ、鎌倉で外から眺められる国宝はこの大仏様と円覚寺の舎利殿だけです円覚寺の舎利殿は遠くから眺めるだけで近づけませんので、実質上、近くで眺められる国宝は、この大仏様だけなんですね。

あ、twitterで呟きました、明治以降に大仏殿を建てようという計画があったというのは本当です。高徳院に伝わる史料群にその設計図が残っています。ついでに明応の地震当時の記録は残っていませんが、元禄16年(1703)の大地震で壊れた台座などを享保期に復興した史料は残っています。

享保18年(1733)に喜捨を集めて修復します。「大仏再興記 全」です!詳しくは『鎌倉市史』の資料編に掲載されていて、通史編に詳しい著述がありますから、興味のある方はぜひご覧ください(^^)/

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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