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チャンバラが好きだった!

時代劇…というよりもチャンバラが好きでしたね。我が家にテレビが入ったのが昭和39年(1964)9月1日。なぜその日かというと、父と誕生日までに平仮名を覚えたら「テレビば買うてやる」と約束してくれていたからです。9月2日が誕生にですから前日のことで、当時5歳。とにかく必死で、確か3日程で覚えたと思います。記憶違いがなければですが…。それから今までずっとテレビっ子で、勉強もテレビを見ながらの典型的なテレビ族でした。

もちろん、当時の子ども達と同じく、鉄腕アトムやワンダースリーといった手塚治虫作品にエイトマン、スーパージェッター、宇宙少年ソラン、遊星初年パピィといったヒーローものが好きでしたね。だからウルトラマンや仮面ライダーも初代から見ていました。

その一方で、もの凄く見ていたのがマンガ(今はアニメですね)の風のフジ丸はもとより、実写版としての神州天馬峡、仮面の忍者赤影、隠密剣士、忍者部隊月光等々忍者ものがとくにお好みだったなと今になっては思います。「時は戦国嵐の時代 でっかい力で生き抜くぜ~♪」(風のフジ丸の2番歌詞)、「江戸の隠密 渡り鳥~♪」(隠密剣士)、「富士を背にし立つ伊那の若武者 風林火山の旗の下~♪」(神州天馬峡)などは、一部ですが歌詞ごと覚えています。

そんな私の好みを受けて、祖父もよく枝とか木切れを削って刀を作ってくれました。ただ、あまりその出来がよくないと「じっちゃん、こげな刀はおかしか」とかいちゃもんをつけたものです。

5月の3日から7日までは久留米の水天宮で春の大祭がありまして、これが周辺の市町村の大きな楽しみだったのです。そこでよくビニールの刀を買ってもらいました。もっとも中学校で剣道部に入部したのは、前千葉県知事の森田健作さん主演の「おれは男だ!」ですから、とくにチャンバラの影響ではなかったですね。なにせ高校では男子バレー全日本の実話をアニメ化した「ミュンヘンへの道」を見てバレーボール部に入ったくらいですから、ただのミーハーです。

いずれにしても「剣劇」「チャンバラ」と呼ばれる殺陣を演劇の世界に持込み、やがて映画やテレビの世界で花開いてく端緒となったのが、劇団新国劇の創始者澤田正二郎(1892~1929)でした。「大衆」という概念が一般化してくる時代で、その大衆に向けた文化が花開いていく時期です。

そんなこんなで、チャンバラを軸とした時代劇の展覧会を開催できないかというのが、目下の課題です。

こんな感じで今は文献を集めながら、勉強を進めて行っているところです。この中ではやはり春日太一さんの『時代劇入門』(角川新書、2020年)が、まさに入門書として分りやすく、勉強になりますね。まだまだ企画を練っている段階ですが、できれば昨年、横浜市歴史博物館で開催した「俳優緒形拳とその時代-戦後大衆文化史の軌跡-」も活かしたいですし、本当にまだまだこれからです!

皆さま、ご支援の程、よろしくお願いいたします!

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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