ななが居なくなった部屋…

今日のつぶやき
ななが居なくなった部屋…

あっちこっちかじられたままのカーペット、もうい飛び乗ることもないベッド、もうかじられることもないトイ・ストーリーのエイリアン「ツム」にペンギンのぬいぐるみ、主の居なくなったケージ、具合が悪くてじっと座ることもない座椅子、そこに隠れることもないカーテン…。よくみれば、カーテンもけっこうかじられています。

ケージから出たときの定位置には今も写真が飾ってあって、窓際におかれた座卓には残った飼い葉と写真と骨壺が置かれています。花はかみさんが庭から摘んできて欠かさず飾ってあります。

次女の部屋は、次女が巣立って、ななが来てからはずっとなな専用の部屋で、この部屋とベランダがななの世界でした。たまには開いたままのクローゼットの中に居たり、ベッドの下で寝ていたり、棚の中にちょこんと座っていることも、カーテンの透き間に隠れていることもあって、こんな狭い部屋なのにあれ?どこに行ったんだろう?と捜すこともしばしばでした。

情けないことにまだまだ気持ちの整理がつかない自分がいます。かみさんには「お義父さんが亡くなったときより泣いているんじゃない」と笑われましたが、確かにそうかも知れません。もちろん、父が亡くなったときの喪失感も数年続きましたが、19歳で家を出てからの人生はここ神奈川が中心でしたから、遠く離れた親との別れの悲しさでした。ななは、たった4年にも満たない年月でしたが、毎日顔を合わせていて、とにかく癒されていた、可愛くて仕方なかったことの突然の悲しみといったらいいのでしょうか?

亡くなるほんの半月前に病院に連れて行った時に検査をしてもらっていたし、確かに前日から具合は悪かったけれど、いつものことだと思っていました。ただ、午前中にかみさんがもらってきた薬を飲みきれなくて吐き出して、急に震えだしたときにはただごとではないと、もう診察時間は終わりそうでしたが、無理にお願いして連れて行きました。でも、その時も心臓はしっかりしているからと言われましたので、安心していました。容態が急変したのは診察台から突然かみさんに向かってジャンプしたときです。明らかに息が苦しそうで、でもそのときもまさか亡くなるとは思っていませんでした。ただ、獣医さんも点滴を打ちましょうと急いで手術台に連れて行ってくれて準備していたとき…。

本当にほんの数分前にまで亡くなるなんて思いもしなかったのです。手術台で横たわるななの息がだんだん弱くなっていって…「いやだぁ!なぁ君!戻ってきて!!」と泣きながら叫ぶかみさんの声が耳から離れなくて、目を見開いたままで、次第に息が絶え絶えになってこと切れるときの表情が瞼に焼き付いていて、どちらも忘れることができません。

後ろから見ると本当に少女マンガにも思えるような大きな目は、日が経つにつれてだんだんとつむっていったのでした。亡くなった当初は見開いたままだった大きな瞳も荼毘に付すときには完全に閉じていました。そんなことをようやくかみさんと話せるようになりましたが、話しているうちにまた涙ぐんできます。

「うさぎは元気なふりをする」

ぽてと動物病院の先生に最初にななを連れて行った時に言われた言葉でした。ここのところ、ずっと病院にもかかることなく元気でしたので、油断していました。推定年齢8歳か9歳は、うさぎの寿命ではあります。確かに以前に比べれば毛の色艶も悪くなっていましたし、動きも鈍くなっていました。ビデオを見ていて初めて気がつきました。でもやっぱり気をつけておけば、もう少しは長生きできたものを…。

「うさぎは元気なふりをする」。今さらながら、肝に銘じておきたいです。うさぎを飼っている皆さんにもぜひ肝に銘じていただきたいです。せめてもの供養に…。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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