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PCR検査から箱根へ

何ともはや忙しい1日でした。30日から2年半ぶりに福岡の実家に帰ろうと思っているのですが、施設に入っている母に会いに行くためにはPCR検査を受ける必要があるとのことです。ネットで探してみたら、厚木でも寿町に無料のPCR検査場があるというではありませんか。もちろん、病院でもできます。でも、こちらの方が手軽なんですね。

PCR検査というのは、鼻の中をグリグリやるのだとばかり思っていたら、唾液を採取する方法もあるのですね。抗体検査は、かみさんがコロナに罹ったときに受けましたが、それ以外は1度も検査したことがなかったので、何も知りませんでした。2~3mm採ればよいというのですが、これが結構しんどいのです。水でも飲んでおけばよかったですが、とにかく絞り出すようです。終わったら、脱水症状みたいになったと言ったら、係の人が笑っていましたが(^^;)

結果はというと、まずはLINEでQRコードを読み込んで、「厚木海老名検査所」を登録します。それから名前や住所など必要事項を書き込むと、2~3日して結果がLINEに届くという仕組みです。なるほどこれは便利だなと思いましたが、LINEをやっていない人はどうするんだろうと思ってしまいました。

それから三菱UFJ銀行へ。通帳がどこに行ったかわからないので、再発行をお願いしようと思ったら、私、そう言えばECO通帳に切り替えていたのでした。なぜ、通帳が必要になったかというと、年金の関係で、通暁のコピーが必要になったからでした。実はキャッシュカードをコピーしたものの、これではダメだと言われたのです。どうしたらいいかと思っていたら、さすがです。インターネットバンキングをやっていると、通帳の表紙と口座番号等をイメージとして印刷することができるのです。なるほど、ちゃんと用意しているのだなと感心しました。

さて、それから箱根へ!箱根では「史跡箱根旧街道整備基本計画策定委員会」に出席するためです。これは箱根旧街道の石畳や杉並木を保全し、活用するための基本的な計画を策定しようというものです。準備の段階から参加させてもらっています。私は江戸時代史が専門で、それも文献史学ですから古文書をもとに歴史的な視点から考えて行きたいと思っています。それが期待されていることだと思います。とはいえ、石畳の発掘調査などの考古学的視点や地理学的視点、観光学、それに地元の方のお話など勉強になることばかりです。ところが…。

こちらはお馴染み早川に架かる赤い橋、湯本橋です。着いたのが12時過ぎで、13時からの会議では食堂で食べるのはきっときついだろうなと思い、箱根湯本駅でお弁当を買って、早川の河原で食べることにしました。弁当は地元では有名な東華軒の花見べんとうです。なかなか華やかでしょう。でも、風が冷たくて、河原では正直、ちょっと寒かったです。でも、何かよかったなぁ…。

でも、問題はこれからで、会場の町役場別館に行ってみたら、委員会は14時からとのこと…。1時間も勘違いしていました(^^;)相変わらずです。んが、早く間違えたのはよかったかなと思い、買い物を先に済ませることにしました。とにかく時間を間違えることが多いんですよね。スマホの手帳にちゃんと書いていても間違えるし、手帳そのものに間違えて書いていることもあるし、本当に我ながらたちが悪いのです。

箱根町立郷土資料館の前には菜の花が咲き誇っていて、湯本富士屋ホテルの前の桜の木もほころんでいました。この前の雨の日には雪が降っていた箱根ですが、ここにも確かに春が訪れています。それだけでも何だかウキウキしますね。天気がよかったのでなおさらす。

そこで委員会ですが、やはり石畳は興味深いです。もともとは竹を敷いていたそうですが、それだと当然ながら滑る。また、竹だと毎年敷き直さなければならないそうで、それを担当していたのが奥伊豆の村々とのことでした。そこで延宝8年(1680)に石を敷くようになったそうです。主には根府川(小田原市)系の石だそうです。奥伊豆の村々では、竹を敷く労力が石を敷くための金納に変わります。その史料も紹介されていて、読んでいておもしろかったですね。石ももちろん重要ですが、竹を敷いていたとしたらその竹はどこから持ってきていたのでしょうね。伊豆では韮山竹とか有名ですが…。

ちなみに箱根八里の小田原側は小田原藩が管理し、三島側は最初は三島代官が管理しますが。宝暦9年(1759)に三島代官所が廃止されると、韮山代官江川家が管理するようになるとのことでした。江川文庫に史料があるそうですが、ちゃんと調べれば少なくとも近世後期の石畳や杉並木の実態などはよく分るのでしょうね。現在の箱根関所は、江川文庫の史料をもとに再建されたものですから。

さて、そんな感じでちょっと箱根湯本を堪能し、いざ委員会が終わって帰ろうかというところで、困った問題が起きていました。車のライトを消し忘れて、バッテリーがあがってしまったのです。委員会の前には気がついていました。通常はライトはAutoにしているので問題はないのですが、ウィンカーを出す際に稀に滑ってライト点灯になっていることがあるのです。実はこのミスは2回目です(^^;)資料館の鈴木館長が手配してくれて、無事バッテリーも充電することができ、恙なく帰ることができました。いや~いろんな意味で忙しいというか、疲れた1日でした。

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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