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カラーコットン

作業服・安全靴のワークマンは、「行こうみんなでワークマン」という吉幾三さんのCMでお馴染みですね。あの歌は「風に吹かれて」と言うんだそうです。ネットって本当に便利ですね。まぁ~私には関係ないと思っていたのですが、興味本位で行ったことはありました。ところが、ここのところ、畑作業のために厚木のお店や大学の側の北金目店に行っています。今朝も来た金目店に立ち寄ってズボンを買ってきました(^^;)帰りに引き取っていきます。大学院生に「畑仕事をはじめると意外とお金がかかるっていいますよね。本当にその通りです!

畑は14坪ですから畳で言えば28畳分くらいですが、これが結構広いのですよ。もっとも、1年目ですから、まとも実らないとは思います。もし、実ってくれたら、サツマイモのなすもトマトも2人では食べきれないですね(^^;)今のところ、3分の1ほど空いていますので、次は何を植えるかです。

実はもう決まっています。かみさんがカラーコットンを植えるというのです。色付きの綿ですね。

こちらがコットンの種です。水に浸して種蒔きに備えています。それにしても綿というのは白いもので、後から色をつけるものだと思っていたのですが、はて?どんな実をつけるのでしょうか?そもそも麻と違って真っ白で繊維が柔らかいからこそ染織が容易に、しかも美しくできるから急速に普及したと話をしていたのですが…。日本では戦国時代に中国や朝鮮から綿を輸入していて、それが普及したことで、帆船も大型化して早くなったり、何よりいろんな色の旗やら幟やら陣幕やらで戦国模様が彩られるようになったということです。もっとも用途としては下着が1番だったようです。下着と言えば、木綿の原産地の一つがインドだそうで、大航海時代にはそのインドで生産される木綿を求めて西洋諸国が押し寄せたと言われています。今でも夏になれば、麻と一緒に、インド木綿を謳い文句にした衣服が販売されています。もっとも、インド産木綿は長繊維であるのに対して、中国や朝鮮で生産されていた木綿は短繊維で繊維が短く太いと言われています。

いずれにしても、江戸時代になると、木綿そのものも国内で自給できるようになり、さらに急速に普及していきます。民俗学者の柳田国男は、『木綿以前の事』で江戸時代の女性は、衣類が麻から木綿に変わることでいっそう美しくなったと述べています。なで肩が女性の代名詞となるのも木綿の普及があって事のことでした。

話がまた脱線してしまいました。さて、明日の野良仕事も頑張りましょう!先週は帰りに温泉に入れませんでしたから、夕方は早めに行きます。その前にいろんなことを済ませておかなければなりませんね。貧乏暇なしです(^^;)

投稿者プロフィール

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!
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