初夏の北條邸推参

今日のつぶやき
初夏の北條邸推参

ひさびさに大船の北條邸に行って参りました。ちょうど千田君が来ていたので。いつぶりでしょうか?北條邸はあいかわらずの佇まいで、庭の野菜たちも元気です。あわよくば野菜をいただいて帰ろうと思っていたのですが、考えてみたら収穫の時期ではなかったですね(^^;)7月にはまたたわわな鎌倉野菜が実ることでしょう。

北條邸のシンボルであった竹林がずいぶんと小さくなってしまったのはちょっと寂しいです。それにしても、美智留さんが亡くなってからもう4年が経つのですね…。今でも北條邸に行けば、元気に迎えてくれそうな気がするのですが…。

北條邸にはもちろん、草花もたくさん咲いています。とりわけ目を引いたのがニッコウキスゲでした。まさかニッコウキスゲがこんなところで鑑賞できるとは…。

こちらがニッコウキスゲです。オレンジ色の花びらがお日さまに照らされてひときわ輝いて見えます。鮮やかという言葉がぴったりです。初めて見ました。何でも株を分けてもらって植え付けたとか。高山でなければ咲かないかと思っていたら、ここでも咲くのですね。ここは昔、池でしたから湿地帯の役割を果たしているのでしょうか?いい保養になりました。

帰る間際に千田君から意外なものとを見せてもらいました。

劇団新国劇の芝居の案内です。大正10年(1921)5月24日から名古屋の末広座で公演されるとあります。興味深いのはここに「殺陣」とあり「たて」とルビがふってあることです。これは新国劇の看板芝居で、のちに「殺陣田村」と呼ばれます。殺陣の型を集めたものです。このサイトで何度も書いているように、新国劇創始者の澤田正二郎は、歌舞伎の形だけの剣術シーンに対して、リアルな剣術シーンを創始したことで知られています。チャンバラという言葉は新国劇で生まれたものですが、この「殺陣」と書いて「たて」と読むのも新国劇由来と考えてよいのではないかと思います。殺陣は歌舞伎で始まったと言われることもありますが、そのように書かれた文献を管見の限り知りません。もしあれば教えていただきたいなと思っています。

あともう一つ。北條先生は殺陣が絡む脚本は書いていらっしゃらないと思っていました。ところが千田君の話ではあるというのです。知らなかったですね。あ、千田君は私の教え子の一人で、2000年に始まった北條邸調査からのメンバーの一人で、今でも北條邸にある資料を整理してくれています。北條先生のことはすべて千田君に聞け!なんですよ。今では私のおっしょうさまです(^^)

投稿者プロフィール

馬場 弘臣

馬場 弘臣東海大学教育開発研究センター教授
専門は日本近世史および大学史・教育史。
くわしくは、サイトの「馬場研究室へようこそ」まで!

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